それじゃあ、煩悩とは何かというところからはっきりさせましょうよ。
基本的には、 2つの要素からなっています。
1つは、思想的ものからあるいは本能的なものから出てくる欲望に
心をわずらわされて、自分を悩ませる事。
2つは、心身ともに乱れて真の自由が得られない事。
ということです。
いずれも、共通する事は、自分自身を苦しみ悩ませるものですねぇ。
だから、欲望は、煩悩の中の1つですね。
まず、この定義に異議がありますか?
1つ質問がありますよ。
それは、悟りを開くために煩悩を断じていくと、
どうなるかということですね。
次のような煩悩を断じる修行が実際に行われましたねぇ。
「結局、煩悩は生きているから発生するものだ。
生きること自体が煩悩だ」
ということで、自らの希望で生き埋めになって、
飢え死にするという修行ですねー。
これを、釈尊の正しい教えとは、言えないでしょう。
創価学会は「煩悩」を肯定することが、仏教の目指すところの平安や慈悲や利他に役立とでも考えているのか。
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