「某出身者と創価学会員は採用しないこと」
これは数十年前に、ある金融機関の人事課にマル秘書類として保管されていたものに書かれていた内容です。
明らかに学会員を差別する対象にしているわけですが、書類にはマル秘という印が押されていることからすれば、社会通念上、許されないことであることは理解していたうえでのことだといえます。それだけに、学会員に対する差別には陰湿な背景が感じられます。
当時はこの金融機関に限ったことではありませんでした。他にも多くありましたが、就職差別は許されない、ということが社会に定着しつつある時代だったので、企業側の隠蔽によって学会員に対する差別事象が公になることはありませんでした。
金融機関や大企業、いわゆる世間の信用や信頼が重要視される会社で、就職試験の時、創価学会員であることを履歴書の宗教欄などに書いて明確にすると、ほとんど採用されない時期がありました。
もちろん、会員であることが不採用の理由であることは一切、外部に漏れないようにしていました。だから一時期は、一流企業の採用試験を受ける時は、創価学会員であることを無理に言う必要はない、ということが暗黙の了解のようになっていた時期もあったのです。
現在はどうなのか。
○創価学園や創価大学の出身者の社会での活躍によって、多くの企業で信用を増している。
○創価学会が発注する建築物などを請け負う企業の増加や扱う金銭に関係する金融機関など、多くの企業との利害関係が出来ている。
○会員が大小さまざまな企業の経営者や幹部になっている。
○公明党が誕生し、現在は国政で第三党の地位を安定的に保っている。
これらのことにより、現在は就職差別は全くなくなったといえます。
逆に、就職試験の時、今の履歴書に宗教欄はないので、口頭で学会員であることを告げると、好感を持って受け止められることも多くなりました。
ここまで就職差別を変革していくことは、並大抵のことではありません。きれいごとや、机上の空論でなせるものではないのです。
その困難さが分かるのは長年、差別に対して運動体として闘争してきた人々のみです。その人たちから見ると、創価学会の就職差別との闘いの実証は、ほとんど奇跡に近いと感じられています。
それほど一度、レッテルを張られた差別というものは宿命的なほど転換することは難しいものなのです。
この困難さを理解する能力が無いのに、
「創価学会は、建物の発注をエサにして、建築業界から公明票を集めたり、学園生の就職先を得ている。信者から集めた膨大な金をちらつかせて、金融機関への会員の就職を迫っている」
などと言っている人は、現実の社会への関わりが浅い人です。世の中がどのようなものか、全く分かっていません。
差別は人為的に作られます。
江戸時代に作られた被差別集団は、言うまでもなく幕府権力によって身分制度として固定化されました。制度として導入した理由は、厳しい租税に苦しむ農民の怒りの矛先が、幕府に向かないようにするためだったとする説があります。
極貧の生活を強いられる農民の反抗心を抑えるためには、もっと貧しく、人間とも思えないような生活をする惨めな人々を身近に存在させることでした。
農民はその人々の生活や姿を見て、自分たちを慰めて反抗心を静めました。権力者にとってはすこぶる都合のよいことだったのです。
人が幸福を感じるのは、他人と比較して、より優れていると思った時で、いわば相対的な幸福感です。例えば、服飾店に行き、最も気に入ったものは高くて買えなかったが、次のものを買いました。それでもうれしくて幸福を感じていました。
ところがその時、他の客が来て、自分が買えなかった高価なものを簡単に買いました。それを見た瞬間に、幸福感は消え去り、不幸を感じてしまうものです。
大海の孤島に、生まれながらにして一人で生きている人は、空腹時に食物を得たという本能的な幸福感はあったとしても、人間の社会的な幸福感は得ることはできません。現代人の幸福感の多くを占めているのは、他人と比較することによって得られる、優越感からくる社会的な幸福感です。
今も昔も権力者というのは、あらゆる物事を権力維持のために利用しようとします。そして手に入れた権力が脅かされそうなものに対しては徹底した攻撃をします。
その一つの方法として、人間の心理である相対的幸福感をも悪用したのです。それは、相対的幸福感を、人間として最も卑しい差別意識にまでエスカレートさせる方法だったのです。
権力者は、民衆の不満のはけ口の解消に差別意識を利用したのと同じように、脅威となるような人物や団体に対して、被差別のらく印を押したのです。権力者にとって不都合なものを、忌み嫌うべき人物や団体に陥れることによって、社会的に抹殺をしようとしたのです。
創価学会が、社会に一定の存在感を持ち始め、また国会議員を誕生させるに至った時、既成政党は大きな脅威を感じ始めていました。何より将来、大きな勢力になる可能性が高かっただけに、早めにつぶしておく必要があると思ったのです。その方法に使ったのがこの被差別のらく印でした。
封建時代の幕府が、被差別集団を作ることによって幕府への不満を解消して権力を守ったのと同じように、今度は学会を被差別宗教団体に意図的、政治的に陥れることによって、人々に忌み嫌わせて壊滅させようとしたのです。
こんなことを言うと、事実ではなく、誇大な被害妄想で、ありもしない謀略めいたものを作り上げていると思うかもしれません。
そう思う人は残念ながら、権力抗争というものが、どれほどすさまじいものであるのか理解できていないといえます。
逆に、そんな権力抗争など知っている人はわずかだからこそ、効果的だったのです。
この陰謀は、かなり成功しました。その背景には、学会が隆盛することによって損害を被むる団体が、反学会の政治家の下に集合して団結したということが挙げられます。
学会が大きくなっては困る団体は、いくらでもあります。その代表は当然、既成政党です。公明党の議員が増えるということは、どこかの政党の議員が減るということです。既成政党がこぞって学会を攻撃するのは当たり前といえます。
そのほか、新興宗教、既成仏教などは、まともに信者や檀家を奪われることになります。黙っているはずはないでしょう。
これに、利に聡(さと)いマスコミが加わりました。当時、学会の悪口を書いた定期刊行物などは、平均的な販売数を大きく上回ったのです。逆に、学会をほめる記事を書くと、いたるところから攻撃や苦情のつぶてが飛んできました。攻撃もされずに簡単に儲けるためには、学会批判を書くに越したことはなかったのです。
さらに、売れるのであればと低俗な著述家が単行本を出版しました。実際によく売れました。すると次々と反学会という著述家が現れてきて、様々ないいかげんな本が出版されました。
そんな本の一冊には次のような意味のことが書いてありました。
「創価学会員は病人と貧乏人ばかりだ。日本中で、学会に入るような病人や貧乏人はそろそろ底をついたので、学会はこれ以上は伸びないだろう」
こんな内容でした。
これに限らず、反学会のキャンペーンのように次から次へと出てくる内容はすべて、学会員の人権を否定し、差別を増長させるものばかりでした。
「創価学会というところは、普通の人間の入るところではない。世の中から嫌がられるような汚い人間の集まっているところだ。もし入会したら、世間からそのような人間に見られる」
すなわち、「学会員になることは、相対的に不幸になる」こんなイメージを作り上げていったのです。
それも、大がかりな情報攻勢によって、執拗に繰り返し行われました。
その結果、差別イメージをつくろうとした反学会の人のもくろみは、十分に達成されることになったのです。
それは現在でも、学会に対してこのようなイメージを持っている人が多いことを考えれば、大成功だったといえるでしょう。
今日までの学会や会員の活動は、作為的に作られた差別との、気が遠くなるほどの、地道で粘り強い闘争だったのです。