創価学会と日蓮正宗とは、どちらが正しいのか。

宗教の正邪は何によって判断するのか?
判断の根拠とするのは何なのか?
これをしっかりと押さえなければなりませんねぇ。

よく、錯覚していることは、
それぞれの宗派の教義を比較検討すれば、
正邪が明確になるだろう、という誤った認識ですねー。
それはそうでしょう。当然ながら、それぞれの宗派が、
自分の宗教が最も正しいと言うのですねー。

そして、その正しいとする根拠が、
科学的に実証できない、死後の世界や絶対者のことを主張するわけです。
だから、行き着く先は「正しいと信じる者にとっては正しい」
ということになるわけですねー。
これで第三者が、正邪の判断できるわけがないでしょう。

要するに、様々な宗教間同士で、いくら宗教論争したとしても、
正邪は明らかにならないということですねー。

さらにまた、日蓮正宗と創価学会はどちらが正しいのか、
というようなことに関連した裁判が何度かありましたねぇ。
最高裁でも争われていますねぇ。
判決は、「宗教性のあるものに対して、
法律的判断をする事は適格性を欠く」
ということで却下されてますねぇ。当然ですねー。

それでは、何が宗教の正邪を決めるのか。
結論は、その宗教団体が、どれだけ、社会、国、世界に対して、
有益な事業をなしたのかどうか、
これこそが、客観的に宗教の正邪を決める唯一の根拠なのですねー。
この根拠であれば、宗教関係者以外のだれでもが、
明確に、どの宗教団体が正しいのかを見極めることができますねぇ。

例えば、あの犯罪集団のオーム真理教も、
教義内容だけを読めば、人間の救済のために、
随分、立派なことを書いているわけですねー。

島田裕巳氏という、宗教学者は、
悲惨極まりない事件を起こしたオウム真理教を
「オウム真理教は、仏教の伝統を正しく受け継いでいる、
真摯な教団である」(Wikipedia)
などとほめたたえていたのですよ。
なお、この島田氏は、徹底したアンチ創価学会ですねー。

多くの人たちが、この宗教批判の原理が理解できていないのですねぇ。
宗教団体と宗教団体が、お互いに、どうのこうのと言って、
宗教論争したとしても、何の役にも立たないのですよ。

この社会的貢献度こそが宗教批判の原理である、
ということについて、異議を唱える人は、
宗教というものがどういうものか、理解できていない、
浅学の者ですねぇ。

この観点から創価学会と日蓮正宗の正邪を見ると、
明らかに、正しい道を実践しているのは創価学会ですねー。

創価学会は、世界各国に教育機関を設立していますねぇ。
今回、ノーベル平和賞を受賞した被爆者団体の活動にも、
協力をしていますねぇ。
アマゾン川の中流には、自然保護を目的に、
“アマゾンを守ることで人類の生存を守る”との信念で、
アマゾン創価研究所を設立していますねぇ。
すでに10周年を迎えています。

ちょうど、今月、10月13日には、
創価学会が音楽文化の発展のために設立した
民主音楽協会が主催して、
「東京国際指揮者コンクール」が開かれましたねぇ。
今年度の第1位に輝いたギリシャの
コルニリオス・ヴィクトル・ミハイリディスさんでしたねぇ。
このコンクールは“指揮コン”と言われて、知る人ぞ知る、
世界の指揮者を目指す人たちの大きな目標となっているのです。

さらに政治的には、「世の中を平和にする」
などと宗教団体が言ったって、何にも役に立たない中で、
創価学会は公明党と言う、政治に具体的な影響力を持つ政党を、
創設しましたねぇ。
本当の意味で、平和に、社会の発展に責任を持とうとしている証拠ですね。

こんな創価学会だからこそ世界192カ国に1000万人を超える、
信者の方がいるわけですねー。
これこそ、創価学会が正しいことの証明でしょう。

それに対して日蓮正宗は、学校法人の設立もなし、
その他、社会に役立つような文化団体もなし、
当然、政党を生み出すだけの力もなし。
世界の平和に貢献することもなし。
正邪は明確でしょう。

くれぐれも、幼稚で、愚かな上に、
タチの悪い創価学会批判者にだまされないことですね。


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