要するに、「板本尊がにせもの」とか言ったり、
「血脈相承が断絶」などと言って創価学会を誹謗するのは、
日蓮仏教が理解できていないからなのですよ。
これは事実ですよ。
日蓮大聖人は、血脈について次のように書かれています。
《信心の血脈なくんば、法華経を持つとも無益なり》
この文章の意味は、血脈というのは、
特定の1人の僧侶から、特定の1人の僧侶へ受け継がれていく、
というものではないと明言されているのですねー。
信仰心の中に流れ通うものだと教えられているのですねー。
だから創価学会が分離した日蓮正宗がしがみついている、
「代々の法主から法主へと日蓮仏教の血脈が受け継がれたもの以外は、
効力がない」などというのは、日蓮仏教ではないのですねー。
大ウソですねー。
仮にそうだとしても、実際には、日蓮正宗の法主が交代したとき、
前法主が次の法主へ血脈を引き継ぐ時間もなく、急死した前法主は、
何人もいるのですよ。
こんな事は、日蓮正宗の上層部の僧侶であれば、
誰でも知っていることなのです。
だから、「創価学会には血脈が無い」などというのは、
創価学会攻撃用のウソの話だということを
日蓮正宗の上層部は、実はみんな知っているのですよ。
また、「板本尊がにせもの」などと言うのも、
日蓮仏教の本質が全く理解できていない浅学な者の言うことですねー。
日蓮大聖人は本尊について次のように書かれています。
《この御本尊全く余所に求むることなかれ。
ただ我ら衆生の法華経を持って南無妙法蓮華経と唱うる、
胸中の肉団におわしますなり》
この文の意味は、「本尊というのは、信仰する人の心の中に、
信心の力によって蘇ってくるものとだ」言っているのですねー。
だから、「板本尊がにせもの」などと言っているのは、
日蓮仏教が全く理解できていない者の寝言ですねー。
何より、日蓮大聖人がご存命中は、本尊などなかったのですから。
また大聖人が本尊を現された以降も、
大聖人が書かれた本尊はほんのわずかな数でしかありませんねぇ。
当時のほとんどの信者の人々は、
自宅で本尊なしで読経唱題していたわけですよ。
さらに、日蓮正宗が唯一絶対と言っている大石寺の本尊は、
大聖人の真筆ではない、ということは有名な話ですねー。
その証拠が「河辺メモ」ですねぇ。
これには、当時、宗門の教学部長であった日顕という法主が、
1978年2月7日に、次のように語ったと
「河辺メモ」に記録されているのですねー。
「戒壇の大御本尊は偽物である」
「様々な方法の筆跡鑑定を行なった結果、わかった」
これは決定的ですねー。
法主になるような人間が、日蓮正宗の根本の本尊を
偽物と明言しているわけです。
さらに、これまでに何度も「日蓮正宗の根本の本尊は、
大聖人の真筆ではない」という疑いがあったにもかかわらず、
日蓮正宗側は、放射性炭素年代測定をしないのですねぇ。
その測定は、炭素の放射性同位体が減少する性質を利用して、
伐採後どのくらいの時間が経過したかを知ることができます。
日蓮正宗の最重要の本尊が、本当に、鎌倉時代の木材に、
彫刻されたものかどうか、明確になるにもかかわらず、
それをしないのですねぇ。
このような真筆ではないと言われている本尊を、
毛筆で書写したのが「創価学会のニセ物の板本尊」
と中傷誹謗しているものなのですねー。
これでよくわかるでしょう、
「創価学会の板本尊はニセ物である」
などと言ったって、何の意味のないことですねー。
実はこれは、創価学会を攻撃するために考え出した口実なのですよ。
こういうことも、また、日蓮正宗の上層部は皆、
知っていることなのですよ。
だから創価学会に対して、
「板本尊がにせもの」、「血脈相承が断絶」
などと言って中傷批判するのは、
日蓮正宗の上層部のウソによって、踊らされている末端なのですよ。
失礼な言い方かもしれませんが、
このような創価学会批判をしている人たちは、
日蓮大聖人の遺文を理解するだけの学力もなければ、
一般的な仏教的学識力も極めて低い人達ですねー。
やはり、無知なほどだまされやすいのですかねー。
板本尊がにせものだったり、血脈相承が断絶してたりすることは創価学会にとって今もダメージがあるか?
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