中傷批判者の、認識と評価そして、行為

具体的な項目に入って行く前に、私たちが新しい物事に出会った時に、どのような対応をすればよいのか、ということについて、原則を確認しておきたいと思います。

これは、創価学会に関してのみならず、全ての物事に対して通じることです。

私たちが、新しい物事に接した時、最初にすることは、それが果たしてどのようなものなのか、と認識することです。

次に、その認識に基づいて、私たちの現在までに身につけている知識や体験などから、その物事を評価します。

そして、評価に基づいて、私たちは、その物事に対する対応や行為を決定していくわけです。

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病気に例えてみます。

まず最初に、様々な検査をして、患者の病状を正確に調べることから始まります。この時に、最新の医療技術で、どれだけ、正しく病状をとらえられるかどうかが大切なことは言うまでもありません。

この段階で、誤った検査をしたり、病状にそぐわない検査をしたとしたら、後の治療が不適合のものになってしまいます。

何よりも、病気の真実の姿を捉えられるかどうかが最大の課題です。

次に、その検査結果をもとに、医師が病名などの診断を下します。

その判断基準は、まさに医師としての才能が問われます。これまで積み重ねてきた経験や知識によって、正しい病名の診断ができるかどうかです。

どんなに正確な審査結果が出たとしても、診断をする医師が誤ってしまえば、検査そのものも意味をなくします。

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病名が分れば、それに対して効果のある治療を行います。

ここでは医師としての力量や技術力が問われることになります。患者の病状に適した投薬や外科治療が大切です。

不適切な治療によって、病状が良くならなかったり、果てには亡くなったりすることもあります。

患者にとって、優れた医師を選ぶことがどれほど重要かは、誰でも知っている常識です。

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『認識と評価そして行為』とは病気に例えてみると、『検査と診断そして治療』ということになります。

このような過程は、外界の物事を自己に取り入れるための原理原則になるでしょう。

それでは学会批判者の、創価学会に対する『認識と評価そして行為』はどのようなものか、検証してみたいと思います。

まず第一に『認識』です。

学会批判をする以上、当然ながら、批判の根拠となる創価学会に対する認識があるわけです。

創価学会をどのような宗教団体として把握しているのかということです。

その創価学会像を調べるのに最も適切なのは、どこから創価学会に対する知識を得たのかということです。

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実に、呆(あき)れるばかりの事実ですが、学会批判者のほとんど全てが、学会批判者が発信している媒体物を通して知識を得ているということです。

週刊誌や雑誌、或いは単行本などに書かれている批判記事を読んで、それを鵜呑(うの)みにしているのです。さらに、全く無責任な、出所も何も分からない、インターネットのガセネタをもとに創価学会像を作り上げているのです。

時には、実際に人間関係のある学会関係の人物を通して、知識を得た人もいます。しかしこれもまた、以前は学会員であったが、現在は反学会の動きをしている人から、創価学会の情報を得ている場合が多いのです。

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物事を把握する第一段階の認識のレベルで、学会を批判する人たちは、正確な学会の姿ではなくして、偏った、或いは全くのデタラメな情報によって作り上げられた創価学会像をもとに自らの学会のイメージを作ってしまっているのです。

学会を批判するほとんどの人は、客観的に正確で、事実に基づいた創価学会の実態とは違って、悪意によって作り上げられた全く別物の創価学会像によって右往左往させられているのです。

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悪意のある批判者は、自分の書いた批判文によって、より多くの人をだまして、同じような学会批判者に育て上げるのが喜びなのです。

そして、自分によってだまされている人の姿を見て、

「私のくだらないデマに踊らされる愚かな連中だ」

と蔑(さげす)みあざ笑っているのです。

何のことはない、悪意のある学会批判者に影響されている人は、批判者の思うつぼに利用されているだけなのです。

創価学会批判を拡大しようとする人にとって、最初の段階で最も大切なことは、多くの人に、学会に対して正当な認識をさせないということです。いかに効果的に、また巧妙に学会の真実の姿を切り捨てて、汚物のように認識させるかということです。

そのために、あらゆる悪知恵を絞って、個人としてまた集団として、反学会行動を行ってきたのが、学会批判の歴史なのです。

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その一つの例として、フランス創価学会の経緯を見てみます。

フランスで創価学会員が増えてきたのは、ほぼ半世紀前からです。

フランスの国民性として、外国の宗教や新興宗教に対して、懐疑的な見方をして簡単には受け入れないという傾向があります。

もちろん、この傾向はフランスに限った事ではありません。民族、国家意識のある国民にとっては、当然のことといえるでしょう。

その中でも、フランスの学会員は着実に増えていきました。

ところが、ある時期からフランスのマスコミが一斉に学会を攻撃するようになりました。

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その原因は、国会に提出された、「反社会的で異常な宗教団体」の報告書の中に、フランス創価学会が入っていた事にありました。

これによりマスコミも、学会のことを、個人や社会に不利益をもたらす異様なカルト教団として、中傷批判の記事を掲載するようになりました。

学会批判者は、この記事を最大限に利用しました。

「創価学会は世界に広がる素晴らしい宗教団体だと宣伝するが、フランスでの実態は、いかがわしくて何をするかわからない、極めて危険で反社会的な宗教団体として国家としても、マスコミなどからも認知されている集団なのだ。

これはフランスだけに限らず、ヨーロッパの他の国々やアメリカ大陸でも同じ状況だ。学会はその実態がバレないように虚偽の創価学会像を作ってだましているのだ」

こういう類の批判が、日本でも多く出回りました。

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それでは、フランス創価学会の真実の姿はどうだったのか。それを明らかにするために、学会は中傷記事を載せたフランスの週刊誌を裁判に訴えました。

裁判の過程で明確になったのは、国会へ提出した報告書を作成した議員が、学会についての記述については、1人の関係者からの情報をもとに書き上げたということでした。

その1人とは、元は学会員でしたが、退会した後、学会を壊滅させるために、徹底して学会批判の虚偽情報を垂れ流した人物でした。

このことについては裁判の中で、報告書を書いた議員も明確に認めています。

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その後、裁判などを通じ、学会がカルト教団である、という報道は、学会批判者が悪意をもって作り上げた虚像であるということが知られるようになりました。

さらに、8年ほど前には、フランスの代表的なマスコミであるル・モンド社が月刊誌において、フランス創価学会の取材記事を掲載しました。

そこには、1人の信仰者が信仰活動を通じて充実した人生に変わってゆく姿を紹介しています。さらに、学会の歴史を通じて教団として進む方向性を正当なものであると認めているのです。

このようにして、フランスにおいては、学会の真実の姿が理解されるようになりました。

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フランスの事例は、学会批判者が創価学会に対する正当な認識を切り崩して、虚像に置き換えようとする意図が明確に出ているものでした。

正しい学会の姿を認識されたのでは、批判者の主張する根拠が無くなるわけです。だから、必死になって、批判されるべき創価学会の虚像を作りあげたのです。その虚像を認識の対象にして、多くの人たちがだまされ、踊らされたわけです。

何よりも、正視眼で各国の学会の状況を見れば分ります。

多くの国々で、公の機関から宗教団体として認められています。また、活動の拠点である会館も数多く建設されています。

また、教育機関だけでも、

アメリカ創価大学

ブラジル創価学園(幼小中高)

香港創価幼稚園

韓国幸福幼稚園

マレーシア創価幼稚園

シンガポール創価幼稚園

などがあるのです。さらに、池田会長の名前を冠した教育機関は各国に、数多くあります。これが「カルト教団」のできることでしょうか。

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学会の現状を見れば、学会批判者がいかに、異常な偏見を持って、忌み嫌われる創価学会像を作り上げて、多くの人に誤った認識をさせようとしたかが分ります。

海外の学会の発展の裏には、地元の会員の、血と汗と涙の労苦の積み重ねがあります。それは、誤解と偏見との戦いでもありました。

何か超越的な力によって、簡単に海外の人たちが学会に入会するなどと思うのは、学会についてのみではなく、世の中の道理をわきまえない人の考えです。

または全く、海外の状況を知らない人です。そんな甘いものなど世の中にはありません。

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海外の創価学会の基盤を築いた人たちが、どれほどの苦労があったのかは、例えば、パリのシャンゼリゼ通りに日本の漬物店を開いて、成功させるようなものではないでしょうか。

各国の創価学会の歴史を知れば、不可能と思えるような壁を何度も乗り越えてきた、人間のドラマが躍動しているのが分ります。

海外での創価学会に対する最も大きな誤解は、

「異質な世界を持った人間が勢力を増し、権力を握って、自分たちの地域社会や国家を支配しようとしている」

と捉(とら)えるところです。

この傾向は、日本においても大なり小なりあります。

同じ町内会に創価学会の活動家が引っ越してきた時など、地元の人は、これまでの平穏な地域が、学会によって乱されるのではないかと心配するのです。

そして、会員に対してはまるで、人種の違う人間ででもあるかのように警戒するのです。

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この溝を埋めるのは、お互いの心が通じ合う会話や付き合いが最も有効です。

そのためには、転入してきた学会員がしっかりと地元に根を張ることが大切です。学会員が町会の役員などを引き受けて、地元のためにいろいろな活動をする中で、誤解が解かれていく場合が多くあります。

「創価学会の人と言っても、私たち、普通の人と同じですね」

町内会で一緒に活動をしていると、こんな本音が出てきます。笑い話のようなことですが、実際にはよくある出来事なのです。

日本でさえ、こういう状況ですから、海外の人たちが学会に対して警戒するのは当然といえるでしょう。

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創価学会の目的は、人々に幸せな人生を歩んでもらうことと、地域社会の平穏と繁栄を推進することです。これは、地域住民の人々と全く同じ思いです。

すなわち、学会員は地域住民であり、地域住民は学会員を含むものです。

例えて言えば、地域住民の中には、真言宗や念仏宗の檀家になっている人もいるし、キリスト教の信者もいます。様々な宗教的な団体に属している人がいますが、それらの人は皆、当然ながら地域住民なのです。

学会員もこれと全く同じことです。

だから、学会員が積極的に地域活動することは、そのまま、地元の発展に寄与することですし、さらには、国の発展と平和にも連動しているのです。

このことは実に当然なことなのですが、実際にはなかなか理解されづらいことなのです。

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特に海外の学会員にとって、まず最初にしなければならないのは、この壁を取り払うことです。そのためには、学会とは、

「1人の教祖によって作られたドグマの世界で、狂信的で何をするか分からない、反社会的なカルト教団」

というイメージを払拭(ふっしょく)するために、現地の人々と心を通わせる絆を結ぶことが非常に大切になります。

それで、各国の状況に合わせて、社会奉仕や環境保護の活動などにも取り組んでいます。

また、地元の会員でつくった、音楽隊や鼓笛隊が、地域行事や国家行事で、演奏を行ったりもしているのです。

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さらに、会員の集会場である会館についても、地域との友好関係を最重要にして建設されています。

例えばイギリスの会館の一つに、タプローコート総合文化センターというものがあります。

ロンドンのテムズ川の近くに建っているこの建物は、敷地は10万坪もある大邸宅です。一見お城のようにさえ見える、イギリスの伝統的な建築物です。元は、貴族の所有になっていたのですが、その後、無人になっていたところを学会が権利を得て、整備しました。

その後、国の歴史的建造物に指定された、文化遺産ともいえるものです。

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現在、イギリス創価学会の本部として使われています。同時に、展示会や、芸術祭、友好祭なども行われ、地域の人々も自由に出入りできるようになっています。

学会員であるとか、ないとかにかかわらず、多くの人に親しんでもらえる建物になっています。

同じように、ヨーロッパの歴史的建造物を修復して、学会の会館としながらも、地域の人に開放して様々な行事にも使っていただき、喜ばれている会館があります。

フランスのシャルトレット市にある「フランス総合文化センター」

イタリアのフィレンツェにある「イタリア文化会館」

オーストリアのウィーンにある「オーストリア文化センター」

これらはいずれも学会の会館であると同時に、地域や国の文化的遺産の建物として、多くの人々に親しまれ感謝されています。

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学会の目指すものは、どの国であったとしても、地域住民や国民と隔絶したものではなく、ともどもに手をつないで進むべき方向なのです。

この学会の姿勢は、下心があって、表面的に周囲を欺くために見せているポーズではありません。そんなメッキのようなものは、海外で長年、信仰活動を続けて信頼を得られるものではないのです。

現在、世界で創価学会が発展している歴史と背景には、長期間にわたる、地元会員の地道な、粘り強い活動があったればこそなのです。

それに対して、悪意をもって、海外の学会組織を陥(おとしい)れようとする批判者は、自らの人間としての精神構造が正常であるのかどうかを、自己検証してみる必要があるでしょう。

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一般的に、ある団体の勢力を弱めたり、壊滅させるのに効果的な方法は、分断させるということです。

内部的には、派閥を作らせて分断し、お互いに攻撃し合うように仕向けるのです。そして外部との関係においては、その団体が他のものとは相容れない異質な世界を持っていて、危険を及ぼすものであると宣伝して、外の世界と分断するのです。

そうすればその団体は世間から孤立、断絶して内紛を起こし、発展することはできません。

創価学会に対しても、この分断攻撃がなされました。

池田会長と幹部と会員、これらを分断させ、世間と隔絶させようとするものでした。

学会批判の歴史を検証すれば、長期間にわたり、分断作戦が意図的に行われたことが明確になります。

創価学会批判の常套(じょうとう)手段なのです。

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分断作戦は、現在でも、手を替え品を替えながら続けられています。

例えば、

「池田会長は高齢で、すでに物事を判断する能力はなくなっている。それをよいことに現在の執行部は好き勝手に、自分たちに都合のよいように、創価学会を利用している」

「学会の幹部は、会員から厳しく取り立てたご供養から、年収数千万円の給料を得て、贅沢ざんまいをしている」

などと言うものです。ある意味で言えば、これらの分断攻撃は、正鵠(せいこく)を射ているとも言えます。非常に効果的であると言えるでしょう。

ところが、実際のところは、全くといっていいほど影響がないのです。

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どうしてかというと、ほとんどの会員は、このようなことを言う学会批判者は、

「正義者ぶっているが実は、自分がうまみを得るために為していることだ」

と実感しているからです。

もし、学会批判者の嘘にだまされて、踊らされる人がいるとしたら、その人のために、

「みじめな人生を歩むのはやめなさい」

と、厳しく忠告してあげたいものです。

いずれにしても、学会批判者の根底には、学会の真実の姿を絶対に認識させてはならないという、邪悪な魂が根強く宿っているのです。

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次に、認識の問題として、池田会長に対するものについて見ていきます。

結論としては、池田会長がどのような人物であるのか、全く分かっていないにもかかわらず、批判をしているということです。

一人の人物が、どのような人間であるのか、ということを知るためには、様々な面から見る必要がありますが、少なくても、その人物の業績と思想については押さえる必要があるでしょう。

池田会長の全体像については、量的に膨大であり、到底、記述し切れないので、一部の業績と思想についてみていきます。

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まず業績として、池田会長によって設立された代表的な機関を列挙します。

幼小中高大などの教育機関

民主音楽協会

公明党

東洋哲学研究所

東京富士美術館

戸田記念国際平和研究所

アマゾン 自然環境保護センター

など、いずれも、国内にとどまらず国際的にも、文化、芸術、教育、自然保護、平和などに貢献するものです。

これらはどれ一つとっても、社会的に影響力をもった機関であり、設立には大変な苦労の積み重ねが必要なものです。

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しばしば言っていることですが、池田会長を批判するのであれば、せめて私立の小学校1校くらい設立した上で、言うべきでしょう。

学校1校を設立するのが、どれほど大変な労作業であるのかをさえ、体験してない人に、池田会長を批判する資格など全くありません。

一生涯の間に、学校を一つ設立できたならば、それは大変な名誉であるのは世間の常識でしょう。

その他の機関も、どれも、それ以上に大きな事業なのです。

池田会長を知るということが、どれほど膨大なものかということの一端が、設立した機関の一部を見ただけでも分るでしょう。

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次に、池田会長の思想面について.これももちろん一端になりますが考えてみます。

池田会長はこれまでに、世界の様々な識者、1500人以上と会見、対談をしてきています。大抵の人が知っている人だけを一部挙げてみます。

職責、国名などは当時のものです。

コスイギン首相(ソ連)

周恩来総理(中国)

ゴルバチョフ大統領(ソ連)

ガリ事務総長(国連)

カストロ議長(キューバ)

ポーリング博士(アメリカ)

マンデラ大統領(南アフリカ)

この程度にしておきます。対談は、対談集として50冊以上が様々な言語に翻訳されて出版されています。

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ここに挙げた人物で言えば、ゴルバチョフ大統領との対談は、「二十一世紀の精神の教訓」の題名で出版されています。

また、ポーリング博士は、ノーベル化学賞とノーベル平和賞という二つの異なった分野を受賞した人ですが、池田会長との対談は、「生命の世紀への探求」という題名で出版されています。

もしも、池田会長について批判するのであれば、最低限度、50冊の対談集は読むべきでしょう。

それでなかったとしても、有名な人物であるゴルバチョフ大統領とポーリング博士との対談集くらいは読むのが常識といえるでしょう。

ところが、会長を批判する人のほとんどが、全く、会長の対談集や著作物を本格的には読んでいないのです。

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中国文化大学(台湾)には、「池田大作研究センター」が2003年に設置されました。毎年、研究成果が発表されます。

2019年は、2月27日に「第13回池田大作平和思想研究国際フォーラム」として開催され、様々な大学の多くの研究者が参加しました。

大学の研究者が、本格的な学問として池田思想を研究しているなかで、対談集一冊も読まないような人が池田会長のことを口汚く罵(ののし)っているのです。

おかしな話です。

罵っている根拠は、学会批判者が作り上げた虚像の池田会長なのです。実在しない池田会長像を作り上げて、それに対してこれもまた、ありもしない嘘をでっち上げて、罵っているのです。

おかしな話です。

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インターネット上で、池田会長に非難中傷を浴びせかけている人は、いったい、どんな人物なのかと興味がわきます。それで、実際に会ってみると、実態がよく分ります。

これまでに、学会批判をしている多くの人に会うことができました。

会う前には、相手の誤りを徹底して追求してやろうと思ったのですが、実際に会ってみると、そんな気持ちにさせるような人はほとんどいませんでした。

対話を続けていると、思い通りにいかない現実の中で、様々な苦労をしながら、それでも耐えながら毎日の生活を繰り返している、という姿が重く伝わってきました。

論破してやろうという意欲よりも、少々、かわいそうに思うと同時に、同胞意識のようなものを感じました。

さらに、真剣に、創価学会や池田会長の事を考えて、調べたり研究したりするようなものでもありませんでした。そんなことは、自分とは関係のない、どうでもよいことのようにしか捉えていないのです。

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それでは、どうして批判するのかといえば、よく話を聞けば、「幼児のヒステリー」のようなものだということが分かりました。

この段階で、インターネット上に出てくる、こういう類の批判は、まともに取り上げて対応する必要のないものだということがはっきりとしました。

無視するだけでよいのです。

ただ、気がかりになるのは、現実を打開して希望を作ることもできず、力のない自分を変革することもできずに、嘆いている批判者たちの人生です。

ともあれ、これらは、政治権力や宗教的権力を持った人が、権勢を守るために、学会や池田会長を攻撃するものとは、本質的に違うものだということです。

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ところで、ここで、「創価学会批判とは何」かを、完璧にさらけ出すためには、必ず、やらなければならないことを押さえておきましょう。

それは、批判者の人間を明らかにするということです。

インターネットなどで、創価学会や池田会長を罵(ののし)る書き込みがあるわけですが、その言葉だけを、どのように論破し否定したとしても、創価学会批判の真実の実態を明らかにすることにはなりません。

あくまでも言葉は言葉であって、実態ではないからです。言葉に実体を持たせるのは、それを書き込んだ人間と結合させることです。

どのような人間がその言葉を書き込んだのかを明らかにすることが、真実の実態をさらけ出すことです。

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罵る言葉を書いた当人に会って初めて、それが、「幼児のヒステリー」という実態が浮き彫りになるのです。実態が明らかになれば、他人への説得力のある説明ができます。

様々な学会批判がなされていますが、どんなに、正当な正義感に基づいてなされているように見えるものでも、それを言っている人間が、どのような人間であるのかを明らかにすれば、批判の実態が明らかになり、全て、まやかしに過ぎないということが理解できるのです。

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同じような例として、学校の一人の教師を挙げておきます。

教壇に立って、子供たちの前では、

「戦争ほど人権を踏みにじり、人々を不幸にするものはない。平和は勝ち取るものだから、常に、戦争に導こうとする悪と戦い続けていなければいけない」

などと戦争反対の平和論を正義感に満ちて教えます。

ところがこの教師、実際の日常生活で、自由な時間がある時に反戦活動をしているのかというと、全くそうではないのです。

とにかく、パチンコが好きなのです。暇さえあれば、多くのパチンコ店の情報を集めて、玉の出る台をねらっては通っているのです。四六時中、頭の中はパチンコでいっぱいなのです。

また、金が入ると売春専門の風俗店に通います。売春防止法第3条には、「何人も、売春をし、またはその相手方となってはならない」と明記されています。

この教師は、教室では人権の大切さを教えながら、隠れては違法な、女性の人権を侵す買春をし、欲望を満足させているのです。

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この教師にとって、戦争反対、平和推進は、本当はどうでもいいことなのです。ただ、口先だけで、教師という立場上、言っているだけなのです。

言葉だけの、まやかしの反戦、平和論者なのです。

こういう類の教師が実は、実際には結構、多いのです。

こんな言い方をすると、一般の人は、「教師に対する偏見が強すぎる」と不快に思うかもしれませんが、現場の教師からすれば、「確かに、おかしな奴が多い」と納得するでしょう。

こんな教師が、「戦争ほど人権を踏みにじり、人々を不幸にするものはない。平和は勝ち取るものだから、常に、戦争に導こうとする悪と戦い続けていなければいけない」と言ったのです。

言った内容の実態は、言った人間と結びついて初めて、真実の姿が明白になるのです。

言葉と言うものは、それを発した人間から離れて1人歩きすると、誤ったメッセージを伝えることが多いものです。

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創価学会批判も、多くのものがこの類の言葉なのです。

いかにも、正義に基づいた尤(もっと)もらしい批判をしています。しかし、その奥に隠された、何のために批判をしているのか、批判の真意は何か、ということを明確にする必要があります。

そのためには、批判している人物を調べるのが最良の方法です。

その人は、どこで生まれて、どのように育ち、職場においてはどうだったのか、家族や友人、近隣の人からはどのような人物として捉えられているのか、など調べればよいのです。

大抵の批判者の場合は、まともに仕事もできずに、職場でトラブルを起こしたり、つき合っている人たちからは信頼もなく、もちろん尊敬などされていない、という人が多いのです。

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こんな言い方をすると、「やはり、創価学会の連中は、自分たちだけが正しくて、それ以外の人間は、ダメ人間のような差別的な見方をしている。ドグマそのものだ」と気分を悪くされるかも分かりません。

ところが実際に、学会批判を先導するような人を調べてみると、不思議なほど、この傾向が顕著な人物であるのが分ります。

真実を知るためには、できる限り多くの事実を見ればよいのです。

多くの学会批判者の現実生活を見れば、

「いったい、この人達のやっている創価学会批判とは何だというのか」

と疑問に思わざるを得なくなるでしょう。

実際に、学会批判者の主張に賛同して、学会を退会し、共に学会批判運動をした人がいますが、学会批判者のずる賢い性格にバカバカしくなり、嫌気をさして、活動を止めた人も多くいます。

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もちろん、創価学会批判のすべてが、このような人物による、低レベルなものばかりであるとは考えていません。

中には、真摯に耳を傾けて、学会の組織変革、学会員の意識変革をしなければならないと思えるようなものも数多くあります。

そういう批判については、これまでも学会として、謙虚に受け止めてきています。

言うまでもなく、現代社会の中で存在している組織、集団というものは、常に、批判や反対勢力があって、健全に発展するものです。批判勢力は組織発展のためには、かえって必要不可欠なものなのです。

政治においても、野党弱体化の中で、一党独占の与党が長期間続けば、腐敗堕落していくのは当たり前です。

これは組織の鉄則です。

従って学会も、正当な批判や批判勢力については、感謝をしているのです。

しかし、無認識の批判については放置しておくと、デマが真実の様相を呈して拡散していく可能性が大です。だから、厳しく真実を、事実に基づいて明らかにしているのです。

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現在、香港で民主化デモが、予想を超えて長期化して行われています。その推進力となっているのは学生たちです。

日本でも、「70年安保闘争」の時には、多くの大学の学生たちが、各地で、各場所で、日本の社会を揺るがせるような闘争を繰り広げました。

「60年安保闘争」の時には、機動隊とデモ隊との衝突によって、東京大学の22歳の女子学生が死亡しました。

70年闘争では、10年前の出来事を踏まえ、学生たちの心の中には、闘争で命を落とすかも分からないという危機感さえありました。

その中で、羽田闘争、佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争、新宿騒乱事件、佐藤首相訪米阻止闘争など、角材や鉄パイプ、そして火炎瓶などを使って激しいデモ闘争を繰り返しました。

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「70年安保闘争」は、政治権力への攻撃とともに、身近な大学内の民主化という闘争にも発展していきました。

その中で、学生たちが、学長や教授という権威権力を笠(かさ)に着て支配しようとしている者に対して突きつけた問題提起は、

「そういうお前は何をしているのだ」

ということでした。

学長や教授は、追求されれば常に、

「大学の設備や機構は全て学生のためにある。講義は、学生のために、学生本位に行っている」

などと主張していました。

これに対して学生は、

「それは口先だけだ。本当に学生のためというのであれば、お前は一体これまで何をやってきたというのだ。学生のためと言いながら、実際にやっていることは、自分たちのために都合のよいことばかりではないか。土下座して自己批判しろ」

ということでした。

学生運動の方法論の善悪は別として、学生たちが鋭く追及したのは、既成権威の欺瞞性でした。

この民主化運動の中で、これまでほとんどメスを入れられることもなかった大学の既得権がどのようなものか、白日の下にさらされたのです。

そこから新たな大学改革が始まったといえます。

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組織的な学会批判者が隠している闇も、学生運動家が追求したように、

「そういうお前は何をしているのだ」

と厳しく、現実の日々の言動を検証すれば、自(おの)ずと明らかになります。

こういう人たちは、創価学会を、正義の味方のようなふりをして攻撃していますが、それでは、

「そういうお前は、学会が数え切れぬほどの人々を失望から希望の人生へと変えたのに対して、いったい何人の人の人生を明るくしたというのだ」

と追求し、その答えを得意な虚言にだまされるのではなく、その人の現実の日々に密着して求めてみてください。

あきれるしかないような実態が明らかになるでしょう。

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また、池田会長を、いかにも自分は賢い人間だというような顔をして攻撃している人に対して、

「そういうお前は、海外の識者との対談集を一冊でも出したのか」

と追求してみてください。化けの皮が剥(は)がれるでしょう。

学会に対する正しい認識を阻害しているものこそ、創価学会批判の欺瞞性です。

その欺瞞性に支配されている根源は、

「ゆがんだ鏡には、全てがゆがんで見える」

という真理に他なりません。

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さて、「認識」の説明が長くなりました。「評価・行為」については、次の項目で述べることにします。


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