戦後、日本の近代化する社会の中で、
創価学会に対しては、
まるで、暴力団の縄張り争いのようなレベルの非難中傷が、
攻撃的に行われてきたこともあります。
週刊誌、月刊誌、新聞、テレビなどで、
広く、学会の批判がなされました。
登場してくる人物には、有名な評論家や
学者、国会議員など、社会的に、
評価されている人も多く出ました。
なかには、異常な殺人事件が起こるたびに、
「残虐な殺人犯は、実は、創価学会員であった。
親兄弟も学会員だ」
「殺人犯は、聖教新聞を購読していた。
その証拠に、逮捕された時の写真に、
聖教新聞の一部が映っていた」
「この事実は、関係者は全員が知っているが、
圧力があって、報道できない」
こんなガセネタが、まことしやかに、口伝えで、
デマとして流されました。
現在でも、あらゆる場所で、あらゆる機会に、
根拠のない学会批判が出てくるのが現状です。
最近、創価学会に新しく入会した人に感想を聴いてみると、
「友人から創価学会に入会を勧められたので、
インターネットで学会のことを検索すると、
悪評が非常に多く出てきた。
かなり不安になったが、友人を信じて入会した。
学会に入って、様々な会合や活動に参加してみて分かったのは、
インターネットの悪評とはまったく違って、
人間的に良い人が多いのに驚いている」
という内容のことを言う人が多くいます。
以前であれば、学会批判は、マスコミが主導し、
世間の噂としては、口コミで広まったものです。
時代が進み、地域社会の結びつきが薄くなった現在は、
インターネットの様々な情報源が広がる中で、
世間の噂というのは、
ネット上の口コミから広まるものになってきています。
確かにインターネットで創価学会を検索すると、
現代版世間の噂として、
無数と思えるほど非難中傷の記述が出てきます。
現在、所轄庁に届けられている宗教法人の中で、
創価学会ほど非難を受けている宗教団体はどこにもないでしょう。
それだけ社会的関心も高いことを意味しています。
それにしても、学会のことを余り知らない人が、
「現代版世間の噂」を目にすると、
創価学会というところは、極悪非道で、
反社会的なカルト教団であり、
その巨大な権力構造のトップに、カリスマ的な存在の池田会長が居る、
というようなイメージを抱かせます。
ところが、これは全く誤った、作られた虚像であることが、
学会員や新入会の人には、直ぐに分かるのです。
それは、実際の学会を知っているからです。
さて、様々な人が千差万別の批判をしている、ネット情報ですが、
大きく分けると次の三つのパターンになるでしょう。
1. 被害妄想型
2. 利害感情型
3. 愚痴文句型
まず、被害妄想型について見ていきます。
被害妄想の人というのは、例えば、深夜に天井で、
コトリと音がしたとします。
実際には、上階の住人が、
風呂に入ろうとして石鹸を落としただけなのです。
それに対して妄想が出てきます。
「私が寝ようとした時をねらって音を出している。
睡眠を妨害して、病気にさせようとする嫌がらせだ。
いや、今の音は、音のしないドリルで、
床から私の部屋の天井に穴を開けていたのだが、
間違って音を出したに違いない。
穴を開けて、毒ガスを上から注入しようとしている。
そういえばガスの臭いがする。怖い。
殺される前に、先に殺さなければいない」
こんなふうに、妄想が頭の中、いっぱいに広がるものです。
被害妄想は、外界の出来事を認識するとき、
事実と違って、自分に危害を加えるものとして、
空想して虚像を作ってしまうものです。
作られた妄想は、一見、
本人に被害を及ぼすように思えるかもしれませんが、
実は、それが本人にとって、
被害を受けることのできる、都合の良い作りものにもなるのです。
被害妄想の学会批判者が作り上げる、
創価学会像も同じです。
それは、現実の学会とは全く違って、
いつ危害を加えてくるか、分からないような犯罪集団なのです。
それを学会批判者は、
「創価学会の組織の中には、池田会長を中心にした、
わずかな首脳しか知らない闇の組織がある。
その力は、警察や国家権力、裁判所にまで及ぶ。
もちろん、暴力団とも密接な関係があり、
都合の悪いことが起こると、
出動させて、学会員にも、世間にも分からないように、
闇のうちに片付ける。その証拠を掴んでいる」
などと宣伝するのです。
要するに、一般会員の知らない闇の部署が、巨大な創価学会を
うまく利用して動かしているというのです。
これだけの巨大な組織を維持するためには、
表の顔だけでは無理で、必ず裏の顔が必要で、
違法なことをしていると考えているのです。
これらはまさに妄想で、学会の中枢の人であれば、
一笑に付し、まともに相手にしない事なのですが、
昔から、懲りもせずに垂れ流しているデマです。
こんな批判者は、臆病者で、常に暴力団の影に、
おびえながら暮らしているのでしょう。
さらに、目に見えない暗い闇に、
強迫観念を抱き続けているに違いありません。
創価学会も、それに関連した団体も、さらに公明党も、
反社会的な団体とは、全く関係しないということは、
当然すぎるほど当然のことです。
これは、学会に限らず、一般社会の常識です。
有名人などが、反社会的な団体との関係が表ざたになり、
マスコミなどで問題になることが、何度もあることを考えれば、
当たり前のことです。。
もちろん、元暴力団の人が、入会をして、
信心活動に励むことによって、立派に更生した、
ということはあります。これは素晴らしいことです。
ここで、常識では信じられないような妄想事件を見てみましょう。
週刊誌にも出てきたものを、二つだけ挙げてみます。
一つは、北海道で、乗用車とトラックが正面衝突して、
乗用車の運転手が死亡した交通事故です。
たまたま、乗用車を運転していて、亡くなった人が、
学会と対立する寺院の僧侶でした。
また、トラックの運転手が、これもたまたま、学会員でした。
警察の現場検証の結果は、
僧侶がセンターラインを越えて、
スピードを出したまま、学会員のトラックに衝突した、
と結論付けられました。
従って、過失割合は、僧侶が100、学会員が0になりました。
要するに、学会員には過失は全くなく、
逆に、被害者と認定されたのです。
この事故を週刊誌が大きく報道しました。
内容は、
「交通事故は、
学会批判をする僧侶を殺すために、
創価学会の命令によって起こされた」
というものでした。
トラックを運転していた学会員も、重傷を負っていました。
仕事で使っていたトラックも使い物にならない状態でした。
相手の運転の不注意から、一瞬にして、苦しみのどん底に落とされた、
この学会員に対して、週刊誌の記事は、
人間性のかけらもないものでした。
さらに、この週刊誌の記事を取り上げて、
学会批判の国会議員が、衆議院予算委員会で、
創価学会の責任を追及したのです。
運転手の学会員は、名誉毀損で裁判所に訴えました。
週刊誌側は、最高裁まで上告しましたが、
週刊誌側の敗訴の判決は、各裁判所ともに同じでした。
判決後、この国会議員は、学会員に謝罪しました。
現在の日本の社会において、このような、
馬鹿げたことをねつ造して、週刊誌や国会議員が、
学会批判をしているというのは、非常な驚きです。
しかし、厳然たる事実なのです。
一連の、運転者に対するデマ報道や国会議員の言動によって、
どれほど、運転者やその家族が、
塗炭の苦しみを受けたことか、計り知れません。
週刊誌の関係者やこの国会議員は、
被害者の運転者や家族に対して、
心の中に、なんの痛みも感じていないのです。
それよりも、学会批判のキャンペーンが失敗した事を、
残念に思うことの方が大きいのです。
これが、創価学会批判者に共通している、残忍性です。
みずからの作り出したデマを使って、
学会批判をすることによって、
どれ程多くの人々に、苦しい思い、悔しい思い、嫌悪感などを
与えてしまうのか、ということには、
全く、振り向こうとしないのです。
否、むしろ、苦しめる効果が大きければ大きいほど、
せせら笑って、喜んでいるのです。
にもかかわらず、
「創価学会の非人道的、
反人権的な本質を社会に、暴き出し、
それによって苦しめられている人々を救うため、
徹底して闘う」
などと、正義の味方のような顔しているのです。
言うことと為すことの乖離(かいり)の指摘をしても、
全く意に介しません。
これからも理解できるように、学会批判者には、
正義・道理・道徳・人権と言ったような、
人間として、基本的に大切な人道が欠如しているのです。
だから、何度でも同じように、社会を大騒がせするような、
反学会キャンペーンをでっち上げるのです。
被害妄想型の学会批判には、2種類があります。
一つは、本当の被害妄想により、
創価学会を巨大な、得体の知れない団体と捉え、
恐怖心と警戒心を起こすものです。
これは、病的なものですから致し方ありません。
もう一つは、意図的に妄想の創価学会像を作り上げて、
徹底して、攻撃するものです。
意図的妄想の批判者の目的は、次の3点です。
1. 創価学会にダメージを与える
2. 学会員に不信感を起こさせる
3. 新しく入会する会員を減らす
これらのために、できるだけ、世の中の人が、
驚き、大騒ぎし、恐れるような、ウソを作り上げるのです。
そして、創価学会のイメージとして、
「闇の部分があり、そこでは、気に入らない者に対する殺人さえも、
世の中に知られずに行うことができる」
などと思わそうとするのです。
それができる確実な証拠として、
「池田会長の命令通りに動く学会員が、警察や裁判所、
さらに政治の世界にまで、徹底して送り込まれている」
と言い張るのです。
このような批判をする人は、
実に、幼稚な精神状態であると言えます。
学会が、こんなバカバカしいデマによって、
ダメージを受けるわけがないのです。
もし、ダメージを受けるのであれば、
ずいぶん以前に、学会はつぶれているでしょう。
創価学会に対する認識が、幼児的であると言えます。
こんなことで、学会が潰せる、などと思っていること自体が、
誇大妄想に他なりません。
反学会キャンペーンに狂奔する人には、
全く、反省するという人間性を持ち合わせていません。
その証拠に、この事件の1年後に、
同じようなことがまた起こりました。
しかも、反学会キャンペーンを盛り上げている、
週刊誌やライター、その他の関係者の顔ぶれを見ると、
なんと、学会批判のおかげで、飯を食っている、
同じ人たちがそろっているのです。
呆れるしかありません。
それが、次の二つ目の事例です。
それは、東京都東村山市の市会議員が、
ビルから転落して死亡した事故でした。
警察の捜査の結果、自殺と断定されました。
この市会議員は、生前に、創価学会や公明党への批判活動をしたり、
創価学会の脱会者の救済活動もしていました。
それで、市会議員の死は、創価学会の謀略であるという説が、
大々的に拡大されることになりました。
新聞、週刊誌、月刊誌、テレビ、ラジオなど、
マスコミが総動員して、この問題を取り上げました。
また、国会においても、反創価学会の国会議員が、
「宗教法人に関する特別委員会」で、
自殺と判断した警察の捜査に、疑問を投げかける質問をしています。
創価学会謀略説が、社会に広がる中で、
学会は、週刊現代・週刊新潮・東村山市民新聞を
名誉毀損で提訴しました。
判決は、3者ともに勝訴しています。
逆に、亡くなった市会議員の親族が、
学会関係の新聞、雑誌である、聖教新聞・創価新報・月刊誌潮を
名誉毀損で提訴しました。
判決は、3者ともに、請求は棄却され、学会が勝訴しました。
この事故については、非常に多くの、
様々な観点からの裁判が、長期間にわたって行われました。
その結果、市会議員側は、判決を
「謀殺説が認定された」と勝手に解釈しています。
実際にはもちろん、警察の再捜査もなければ、
市会議員を階段から突き落としたとする、
学会員の名前も出なければ、当然ながら、
殺人犯として、誰も逮捕されていません。
インターネットを検索すると、これらの二つの事例以外にも、
非常に多くの同種の批判が出てきます。
いかにも真実性を持たせようとして、
学会内の役職まで出してきます。
「殺人犯が学会員であるということは、
地元の地区部長が、絶対に秘密にしてくれということで認めた」
などと言うのです。
そのネタ元の人に、
「地区部長の名前と住所、連絡先を教えよ」
と言うと、
「個人情報なので言えない」
と決まり文句で逃げます。
悪質なガセネタを、ウソを承知で、垂れ流す学会批判者は、
自らの、人間としての精神作用が、
破壊されていることに、気づくべきでしょう。
以上が、被害妄想型です。
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