好きな相手と結婚できるように、必死で、祈っている。しかし、良い状況にはいかないが、叶うまで祈り続けようと思う

おそらく、思い込みだろうと思います。

結婚したいという精神状態が、根拠のない確信を

生じさせたのだろうと思います。

「叶うまで祈り続け」ることについては、

六巻抄には、次のよう書いています。

《仮使(たとい)発心真実ならざる者も正境に縁すれば功徳猶多し》

この意味は、「たとえ、題目を上げる理由が、

不純なものであったとしても、学会の信仰は素晴らしいので、

功徳がある」

と言うことです。

質問者さんが、自己満足の確信からの唱題であったとしても、

功徳として、必ず、良い方向に進む、ということです。

具体的には、一生の長い目で見たとき、

最も価値的な結果になるものです。

ただ言うまでもなく、「発心真実ならざる者」よりも、

「発心真実なる者」の方が、良いに決まっています。

そのためには、自分の境界を高めることです。


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