直接的な回答ではありませんが、
幼稚な認識がありますので指摘をしておきますよ。
「創価学会は聖書を認めていない」
と書いていますが、「認める」という言葉を
どのような内容で使っているのですかねー。
例えば、創価学会としてベートーベンの第九の合唱は、
よく歌いますよ。
これは「認めてません」という範疇に入らないのですか?
さらに、創価学会員でクラシック音楽関係の仕事してる人が
多くいますねぇ。
メンデルスゾーンやバッハなど
「クラシック音楽の源流はキリスト教の聖歌である」
(樋口隆一明治学院大学名誉教授)
というのは、ほとんど常識になっているでしょう。
また、創価学会の歌手の皆さんのなかには、
ゴスペルを歌い続けている人がいますねぇ。
ゴスペルという言葉は、キリスト教の「福音(gospel)」
という言葉から来ており、福音書に書かれたイエス・キリストの教えや
生涯を歌詞にした歌ですよ。
これらの仕事に従事している創価学会員の方々は、
質問者さんの「認めてません」に違反していませんか?
聖書を認めてなければこんな音楽活動などできないでしょう。
要するに、質問者さんの創価学会対する認識は、
極めて浅薄であるということなのですよ。
そういう浅薄な認識をもとに、
「どちらがマシであるか」などと偉そうに問うのは、
失礼でしょう。
「評価と認識」の問題ですよ。
この問題意識がありますか?
「どれだけ深く正確に対象を認識するかによって、
対象をより正しく評価できる」ということですねー。
質問者さんのような幼稚な創価学会認識で、
創価学会をどうのこうのと評価すること自体が、
恥ずかしくないのですかねー。
創価学会は聖書を認めていない。ユダヤ教もそうだ。キリスト教にとって創価学会とユダヤ教とでは、どちらがマシか?
投稿日
投稿者:
コメントを残す