「月刊ペン事件」の真相

カリスマであり、絶対的存在であると思われていた池田会長が、創価学会の本部総会において、「言論出版妨害事件」について謝罪をし、組織の形態と体質を改革すると発表したことは、さまざまな方面に大きな反響を及ぼしました。

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特にこの時までは、創価学会や会長に対する批判書籍を出版することは、「菊と鶴マークには気をつけろ」などと言われていたように、業界では十分に注意しなければならないことでした。

どうしてかといえば、学会に対して理不尽に中傷批判するようなものを出版すれば、厳しい追及と裁判までも覚悟しなければならなかったからです。

ちなみに、鶴マークは日蓮正宗の信徒団体であった当時の創価学会のシンボルマークでした。

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ところが、「言論出版妨害事件」があってからは、学会への批判が封切られたような趣が出てきました。

それに調子づいて、世間をアッと言わせるような会長スキャンダルを報じたのが、「月刊ペン事件」です。

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『月刊ペン』という雑誌は、ほとんどの人が知らないでしょう。その程度の月刊誌です。発行元は月刊ペン社という、これも誰も知らないと思える出版社です。

昭和45年(1970年)ごろ発刊されていて、昭和60年(1985年)には事実上の廃刊になっています。

月刊ペン社もその後、破産しています。特定の人物が、特定の目的で発刊した雑誌であるといえます。

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この『月刊ペン』の昭和51年(1976年)3月号と4月号に、大々的に池田会長のスキャンダルという記事が掲載されたのです。

その内容は、

「会長の女性関係が乱脈を極めており、会長と関係のあった女性2名が会長によって国会に送り込まれた」

というものでした。

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もちろん、「女性2名」というのは誰を指すのかは、一目瞭然のことでした。

当然、全くのねつ造記事だったので、学会はその記事の筆者でもある編集長を警視庁に刑事告訴しました。

捜査した警視庁は、事実無根のねつ造記事であって、あまりにもひどいデタラメだったが故に、名誉棄損事件としては異例でしたが、編集長を逮捕、25日間、勾留しました。

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その後、裁判となりましたが、記事の事実を裏付けるような証人や証拠は全く出ませんでした。

当然ながら東京地裁は、懲役10カ月、執行猶予1年の有罪判決を下しました。

編集長は控訴しましたが、東京高裁でも控訴は棄却されました。

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事実審理に入るまでもなく、情報源のデタラメな記事に公共性はないと判断し、棄却したのです。

普通の被告人であれば、ここであきらめて刑に服すのが当たり前でしょう。ところが編集長は、勝てる当てもないのに最高裁に上告しました。

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これは学会批判のための裁判においては、常套(じょうとう)手段なのです。

最高裁の判決が出るまでは、形としては記事の内容の真偽は未定ということになります。

そうすると、裁判の継続中は、記事を使って学会や会長の名誉を傷つけるようなことが大々的にできるわけです。

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この「月刊ペン事件」が特異な経過をたどるようになったのは、最高裁の判決でした。

創価学会が編集長を告訴してからすでに5年が経過した、昭和56年(1981年)のことでした。

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たいていの予想では、1審で有罪判決、2審で控訴棄却されたわけだから、最高裁では当然、上告を棄却して1審の有罪が確定すると思われていました。ところが意外な判断が出ました。それは、

「私人の私生活上の行状であっても、社会的活動の性質や社会に及ぼす影響力の程度などによっては、社会的活動に対する批判または評価の資料として公共の利害に関する事実に当たる場合がある」

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というものでした。簡単に言えば、

「池田会長は、創価学会の会長であり、社会に大きな影響力を持っているので公人である。だから、私的なスキャンダルを報道されたとしても、公共の利益になるものであれば、報道した者が名誉棄損罪を免れる場合もある」

というくらいの意味です。

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そして、職権で原判決を破棄して、事実審理をするように東京地裁に差し戻したのです。この判決は当時、大きな反響を呼びました。

各新聞社が大きな見出しで報道しました。

  

《『表現の自由』新判例

   『月刊ペン事件』最高裁が差し戻し

   影響力を持つ人物の私生活『公共性がある事柄』》

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《名誉棄損の適用範囲限定

   月刊ペン事件で最高裁判決

   池田大作氏の私的言動

   公共の利害に該当》

これらの記事は、判決の出たその日の夕刊に載りました。1面トップの記事として扱った新聞もありました。

当時のニュース性が非常に高かったことが分かります。

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この判決を悪用できると喜んだのは、創価学会批判者の人たちでした。

池田会長が新聞のトップ記事として登場してきたわけですから、全国的な話題性は十分すぎるほどありました。

この時ぞ!とばかり、反学会のメンバーが「月刊ペン事件」に食らいついてきました。

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まず何より最高裁が、有罪判決を破棄したことをネタにしました。

月刊ペンの記事には、真実性があるのだと大騒ぎを始めたのです。

最高裁は「記事に真実性がある」などとは一言も言っていません。「事実審理をせよ」と言っているだけです。

それを逆手にとって「陰湿きわまりないスキャンダルは事実だったのだ」と会長批判を繰り返しました。

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会長や学会に対する裁判を利用しての批判は、いつも同じこの手を使っています。

裁判では、「事実であるかどうかは分からない」と言っているのに、「事実である」とすり替えて批判する手法です。

判決文を読めば、小学生にでも、バレるようなウソを平気でつくのです。

ということは、批判者は批判文を読む人に対して、

「この程度に、ごまかして書いておけば、おそらく信じるだろう」と見下しているのです。

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この態度は、事実をねじ曲げる学会批判者の全員に共通している、卑しむべき根性です。

もし、学会批判者の書いたものを読んで、少しでも「そうかもしれない」と思う人がいたら、その人は批判者からバカにされ、もの笑いにされていることを自覚するべきでしょう。

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学会批判者のあくどい手管は、一般の人が、

「まさか普通の人なら、そんな明らかなウソは言わないはずだ」

という人間の良心を踏みにじって利用するやり方なのです。

戸田第二代会長はある時、

「創価学会に対する中傷批判は、ねたみと偏見と嘘八百の策略であることは、天を見るより明らかではないか」

と言っています。

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嘘八百というのは、ウソにウソを重ねることです。

実際のところ、学会批判には、「天を見るより明らか」なウソを平気な顔をして宣伝するのがいつもの手段なのです。

この「月刊ペン事件」は、その見本のようなものでした。

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「月刊ペン事件」は差し戻審で、再び東京地裁において、記事の内容が真実であるかどうかの審理がなされました。

この裁判の場で、証人として編集長以外にも、次々と反学会の人が登場して、証言を行ないました。

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驚いたことには、裁判に登場する反学会の人たちを呼んできた中心人物が、学会の最高幹部でもあった、元顧問弁護士と元教学部長の2人でした。

「月刊ペン事件」の最高裁判決が出た昭和56年(1981年)、もう一つ、学会にとって重大な判決がありました。これも新聞の各紙が報道しました。

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  「創価学会告訴事件

    顧問弁護士を逮捕

    三億円恐喝容疑」

  「創価学会恐喝

    顧問弁護士を逮捕

    『内幕ばらす』と三億円」

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こんな見出しで大きく報道されました。

創価学会の顧問弁護士でありながら、事もあろうにその学会を恐喝して逮捕されたのです。

もちろん、学会は顧問弁護士を直ちに解雇しました。

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明確な恐喝事件であったにもかかわらず、裁判は最高裁まで続きました。裁判期間は十年に及びました。

そして平成3年(1991年)、顧問弁護士は懲役三年の実刑判決を受けて、刑務所に収監されました。日本弁護士会は、弁護士資格を剥奪しました。

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どうしてこれほど裁判が長くなってしまったのか。

答えは簡単です。元顧問弁護士が、裁判という自分の得意な場において、もっともらしいウソを並べ立てたからです。

裁判官から、元顧問弁護士の主張に対して、50ヶ所以上の虚偽がある、と指摘されたことでもそれがよく分かります。

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元顧問弁護士の犯罪は明らかであるにもかかわらず、元顧問弁護士はこの裁判について、創価学会の内部告発と不利な極秘資料が外部に出ることを封じ込めるための冤(えん)罪であると主張しています。

さらには、学会や公明党の司法関係の者が裁判官に不正な働きかけをした、とまで言っているのです。ここまでくると救いようがありません。

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元顧問弁護士の裁判中に、「月刊ペン事件」の差し戻し審が行われていました。

元顧問弁護士は、自分の裁判を有利に進めるためにも、とにかく池田会長の極悪なイメージを作りあげることが大事だと考えていました。

そのために、「月刊ペン事件」は喉から手が出るほど欲しいものだったのです。

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元顧問弁護士は、昭和56年(1981年)に逮捕され、その後、半年ほどで保釈されてから、『月刊ペン』編集長が亡くなる昭和62年(1987年)までの、約6年間にわたって、自らの裁判と「月刊ペン事件」の裁判と両方に暗躍しました。

池田会長と創価学会に対して、虚偽の限りを尽くして攻撃してきました。

当然ながら、最終判決は、両方共に欺瞞(ぎまん)への厳しい断罪でした。

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もう一人、「月刊ペン事件」差し戻し審に登場した証人の中に、学会の最高幹部がいました。それが、創価学会の元教学部長です。

学会にはさまざまな部署がありますが、日蓮仏教の教えを研究し、会員に啓蒙するためのものとして教学部という部署をもうけています。その最高責任者でした。

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この元教学部長の父親は、学会の理事長や公明党の委員長なども務めた人でした。学会の功労者であった親のおかげで、息子の元教学部長も重用される傾向にありました。実力も人望もないのに教学部長に収まっていました。

学会の組織の中に大学生ばかりの集まりがあります。学生部と呼んでいます。元教学部長は一時、学生部のナンバーツーの役職も持っていました。

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全国の主要都市の学生部は毎月、5百人から千人程度の幹部会を開いていました。

元教学部長はよく、そこに顔を出し講演をしています。

元教学部長は登壇の順番を待つ舞台の袖でしばしば、水のように見せかけて日本酒をコップに入れさせていました。

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順番が来ると、勢いよくそれを飲み干して壇上に上がります。そして、小柄な体からは想像できないような野太(のぶと)い声を出して、調子に乗った話をしました。

しばらくすると、酔いが回ってきて、顔が赤くなります。それを見ていた学生たちは、「信心が深まると顔色が良くなる」と感心したものです。

この頃からすでに、アルコール中毒の様相を見せていました。

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小人数の学生部の会合の時などは、感情の起伏の激しさがよく出ました。

ある時などは、遅れて入ってきた学生に、顔を真っ赤にして怒鳴り散らし、会場の後ろに立たせていました。

そうかと思うと、気に入った学生には猫なで声で褒め称えます。

周囲の人は、元教学部長の言動の予想がつかずに、おろおろするしかありませんでた。

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元教学部長は、身の程を超えた厚遇を受けていたにもかかわらず、欲深い性格から、さらに学会を牛耳ることができるような立場を求めました。

ところが、それがかなわないと知るや、反学会に転じたのです。親の顔に泥を塗り、厚遇してくれた池田会長に弓を引いたのです。

ただ、彼は自分を酒でごまかすような、憶病で小心者なので、1人で反学会の大それたことができる人物ではありませんでした。それを、反学会の道へ引きずり込んだのは、元顧問弁護士でした。

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創価学会の最高幹部の2人が、反学会のために手を組みました。

これだけでも、強力な反学会勢力になり得ましたが、さらに、2人だけでは学会内部の人間の話で説得性に欠けるということで、一般紙の元新聞記者も加わって、2人の反学会の話に第三者的な正しさを証明するような役割を担うと同時に、様々な反学会キャンペーンの段取りをするようになりました。

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この元新聞記者は後年、学会批判をする講演の中で、

「創価学会は特殊部落みたい」と言ったことで、部落解放同盟から厳しい抗議を受けて謝罪をしています。

彼は本来、人権意識や被差別部落の人々の苦しみなどといったことは、全く理解することのできない低俗な人格の持ち主だったのです。

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このころから週刊誌に、外部に出るはずのない学会の内部資料が次々と掲載されるようになりました。

さらに、「創価学会最高幹部・七人の内部告発」などという大見出しで、週刊誌に仮面の告発座談会などが、シリーズで掲載されるようにもなりました。

これらは全て、元教学部長が学会本部に保管していた資料を無断で持ち出し、元顧問弁護士と共謀して大々的に学会攻撃を作り上げたものでした。

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2人は、社会的にも大きな影響力を持っている創価学会の巨悪に、少人数だが正義の味方として闘う、という虚像を作りました。

そして、悪を滅ぼすヒーローででもあるかのように登場したのです。

そして、それにふさわしく、いかにも読者の、正義感に基づく同情を得るような言い方をしていました。

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2人は反学会キャンペーンを、「月刊ペン事件」と「創価学会恐喝事件」の裁判の追い風にしようとしました。

記事を読んだ人からすれば、

「こんな悪徳な学会であり、会長であるならば、『月刊ペン』に書かれた事も十分にあり得ることだ」

と思い兼ねませんでした。

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創価学会批判の世論を高めておけば、裁判の行方にも少なからず、都合の良い影響を与えると考えたのです。

このような状況の中で、東京地裁で差し戻し、第一審が始まりました。

審理の中心は、会長の女性問題が事実かどうかという事実審理でした。

一般世間や多くのマスコミが最も注目している部分でした。

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公判には、元教学部長は6回、元顧問弁護士は4回、出廷して証言しました。

いずれも、会長の女性スキャンダルの現場を「目撃した」、「見た」と疑いようのない事実であると主張しました。

2人の証言を聞けば、会長の女性スキャンダルは日時場所も明確な「目撃事実」であることに疑問をはさむ余地はありませんでした。

しかも、元教学部長は「創価学会の最高幹部の一人で、池田会長の側近中の側近」と週刊誌がもてはやす人物です。

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また、元顧問弁護士は、最難関の国家試験を突破して、社会的にも信用の高い「法律の守り人」であった人物です。

この二人が、「現実に目の前で見た」と証言するのだから、誰も疑う者はいないでしょう。

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実はここに、為(ため)にする全ての創価学会批判の根本的な原理があります。

それは、

「いかにも真実らしいウソをつく」

ということです。これが創価学会批判のキーワードです。

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「まさか、普通の人が、他人を陥(おとしい)れるために、こんな明々白々なウソをつくわけがない。そんなことをするとは人間として考えられない。だから、少なからず事実が存在するに違いない」

たいていの人はこのように思うでしょう。これが学会批判者の狙い目なのです。

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差し戻し第一審は、次々と出てくる2人の目撃証言に対し、次々とその偽証が暴かれる裁判となりました。

もっとも物笑いになった証言は、昭和45年(1970年)4月、「池田会長と女性とのスキャンダルの現場を見た」という日時場所に、見たという本人である元顧問弁護士が、その場所に居なかったということでした。

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その時には、本人が遠く離れた別の場所にいたという証拠の書類が出てきました。「いかにも真実らしいウソ」であることが白日のもとにさらされたのです。

その上この時に、意外な虚偽まで暴かれてしまう結果になりました。

元顧問弁護士は、池田会長のスキャンダルを目撃した時に、

「会長から電話盗聴を了解する意味を含んだ激励の言葉を聞いた」

と証言したのです。

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この事件は、「宮本顕治宅盗聴事件」といわれるもので、昭和45年(1970年)日本共産党委員長であった宮本宅の電話が盗聴された事件です。

委員長は、創価学会に対して、盗聴被害の損害賠償を求める民事訴訟を起こしました。

元顧問弁護士は、盗聴事件を自分と数人の学生部員で実行した事を認めました。

ただ、あくまでも、「池田会長の了解のうえに行った」と主張したのです。

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ところが、会長の了解の言葉を聞いたというその時その場所に、元顧問弁護士はいなかったということが、「月刊ペン事件」の中で証明されたわけです。

盗聴事件については、池田会長の了解でもなければ、学会本部の指示でもないことは明らかでした。元顧問弁護士が独断でやった違法行為でした。

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しかし当時の彼の役職は、副総合学生部長という中堅幹部であったがゆえに、学会の組織的関与がないと主張するのは無理と判断して、上告を取り下げて、学会側の敗訴が確定しました。

その後、元顧問弁護士が、学会の機関紙を名誉毀損で訴えた裁判の中では、図(はか)らずも、盗聴事件は彼の独断で行われたものであると認定されました。

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その他にも、2人が公判で証言した数々の「真実・事実」は、ことごとく偽証を示す証拠によって打ち砕かれました。

昭和58年(1983年)、東京地裁は編集長に対して罰金20万円の有罪判決を下しました。この金額は、当時の名誉棄損罪の罰金としては最高額でした。

「月刊ペン事件」が極めて悪質なねつ造事件であったことを物語っています。

判決文の中には概略、次のような内容がありました。

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「結局のところ、本件摘示(てきし)事実については、いずれも真実証明がないことに帰する。被告人が本件につき入手したという資料・情報は、情報提供者の信頼性という基本的な部分の検討が甚(はなは)だ不十分である。

具体性のあるものは、裏付けを取ろうとするとできなかったり、かえって破たんをきたしたりし、さらに言えば、そもそも裏付け取材の質や克明さにも欠けている」

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こんなものです。

要するに、会長をおとしめるために、ありもしないデマ話を作り上げて記事にしたということです。

編集長は当然のごとく、東京高裁に控訴しました。高裁は当然のごとく、控訴を棄却しました。

裁判所の判断は概略、次のようなものでした。

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「男女関係を示唆するものとして、関係証人によって指摘された諸事実は、事実そのものが疑わしく、証言内容は到底、その真実性が立証されたとは言いがたい。

いずれも被告人において、真実性を信ずるに足りる相当な理由のあることを基礎づける資料・根拠とは言い得ない」

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高裁も、編集長の記事とそれを事実であるとした元教学部長、元顧問弁護士などの証言は、すべて大嘘であるとの判断を示しました。

編集長は当然のごとく、最高裁に上告しました。

昭和62年(1987年)、編集長が死亡し、審理は終了しました。

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創価学会が編集長を刑事告訴してから十年を超えていました。

この間、最終的な判決が出ていないということを盾に、多くの反学会勢力が団結をして、

「いかにも真実らしいウソ」をこれでもか、これでもかと大宣伝をして、池田会長や創価学会を侮辱し続けました。

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何よりも裁かれなければならないことは、編集長や2人の元学会最高幹部が、初めから、自分たちが主張していることは、「いかにも真実らしいウソ」であることを誰よりも知っていたということです。

これこそ法律以前に、人間として裁かれなければならないことです。

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彼らは創価学会の状況をよく把握していました。

池田会長を侮辱すれば、どれほど学会員が悲しみ、嫌な思いをするかを知悉(ちしつ)していたのです。

狙い通りに、この十年間、学会員の良心を傷つけ続けました。それも1千万人にも上る人々の心を、です。

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彼らの目的は、なんだかんだと正義面を見せていますが、池田会長に対して、いかがわしい新興宗教のカリスマ教祖というイメージを世間に広げて、創価学会と会長を離間させ、公明党を政界から追放し、創価学会を乗っ取ることだったのです。

これは今さら言うまでもなく、関係者なら誰でも知っていることです。

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東京地方裁判所の判決文の中に、

「当時表面化した創価学会と日本共産党との間のいわゆる創共協定に対し、教義上の立場から疑問を募らせ『月刊ペン』誌に創価学会批判記事を掲載することを企画」

と明確に書いています。

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『月刊ペン』自体がもともと、政治的な意図を持った雑誌といわれていました。学会批判の裏には、必ずといっていいほど、政治的な背景があるのです。

これらの目的遂行のための最も効果的で、しかも唯一の方法は、会長と会員の信頼関係を断ち切ることである、と彼らは狙いを定めたのです。

これは実に正鵠(せいこく)を射たものです。

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会長と会員の信頼関係こそが、創価学会の魂であるからです。それを切り崩さない限り、他のいかなる方法で学会を攻撃しようとも、学会は微動だにしません。

学会が安泰であれば、公明党は存在感を増すことができます。

「月刊ペン事件」に関わった3人の中心者、またそれを世間に喧伝(けんでん)した元新聞記者は、1千万人近い学会員が嫌な思いをする姿を見て、ニヤニヤと笑っていたことでしょう。

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イスラム国のテロリストが、無関係で何の罪もない人々を殺して喜んでいるのと同じです。

テロリストは人々を殺したが、この4人は会員の心を殺しました。

殺される人が多ければ多いほど彼らにとっては喜びが増したのです。

何より人間として許せないのは、彼らは自らの行ったことに対して、全く反省をすることがなかったということです。

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それが証拠に、これほど明確な判決が出たにもかかわらず、この後もさまざまな機会に「月刊ペン事件」を取り上げて、会長と学会に泥を塗ろうとすることを止めなかったのです。

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さらに現在でも、学会批判者の中には、「月刊ペン事件」を引っ張り出してきて、「いかにも真実らしいウソ」をついて、会長や学会を胡散(うさん)臭いものにしようとしている人がいます。

どれほど、言論のテロである「月刊ペン事件」が悪質極まりなかったか、ということを証明しているといえるでしょう。

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時は流れて20年、平成8年(1996年)、またしても「月刊ペン事件」と全く同じパターンの「事件」が起こりました。

学会内では、「信平狂言訴訟」と呼ばれているものです。

北海道の創価学会婦人部の幹部が、「池田会長に何回も強姦された」と被害を訴えて裁判を起こしたものです。

この事件は、週刊誌やテレビなどのマスコミが大騒ぎをし、さらには国会でも取り上げられるという「大事件」となりました。

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5年間にわたった裁判の判決は、次のようなものでした。

1.各事件の事実的根拠が極めて乏しい

2.夫妻側の訴訟活動は、被害救済を求める者としては極めて不自然である

3.本件訴訟は紛争の解決を真摯に目的とするものではなく、池田名誉会長及び創価学会に不利益を被らせることを目的と推認されてもやむを得ない

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要するに、嘘をでっちあげて裁判を起こし、大騒ぎをすることによって、池田会長と創価学会にダメージを与え、陥れようとする目的のために裁判制度を利用した、ということです。

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従って判決は、「訴権(そけん)の濫用(らんよう)による却下」ということになりました。

「裁判制度を悪用するな」というわけです。

これは極めて稀な判決です。

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このような、最高裁まで進んで出てきた明確な判定に対して、学会批判者は、

「判決は、訴権の濫用であって、強姦の事実が否定されたわけではない」

と宣伝をしています。

「もう、いい加減にしろよ」と、うんざりするしかありません。


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