事実を書いておきます。
もともと、創価学会は、国立戒壇などと言ったことはないのですよ。
また、日蓮仏教の中にも、その言葉はありませんねぇ。
初めて、国立戒壇という言葉を使ったのは、
日蓮宗の新興宗教、国柱会の田中智学氏ですねー。
明治34年の話です。
この考え方は、その後の日本社会の国体意識と重なるところがあり、
ある程度、社会的認知を得ました。
その後、創価学会が過去に所属していた日蓮正宗という宗派も、
この国立戒壇を無批判に受け入れたのですねぇ。
その時は、創価学会も日蓮正宗の意向を尊重して、
国立戒壇と表現したこもとありましたねぇ。
その上で、創価学会第二代会長は、
「(日蓮大聖人の戒壇建立とは)未来の日蓮門下に対して、
本門の戒壇の建立を命ぜられたもの」
と明確に、信徒が建築するものだと言われています。
国家権力によって建立するなどとは一言も言っていませんねぇ。
そもそも、国立戒壇という考えが出てきた根拠には、
次の日蓮遺文が該当しています。
「勅宣ならびに御教書を申し下して、
霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべきものか」
これは、単純に読めば、
「天皇の命令(勅宣)に従って、幕府が事業の実行を通達(御教書)
して、戒壇を建立すべきである」
というように読めますねぇ。
これを、国立戒壇というように誤解したのです。
その原因は、鎌倉時代の戒壇というものの状況が、
把握できていないからです。
日本で初めての戒壇は、東大寺で建設され、
そこでは、天皇も授戒を受けていますねぇ。
このように、平安時代までは、戒壇というのは、
天皇すなわち国が認めた建物ものだったのですよ。
そこで授戒を受けると、国が認めた優れた僧侶となれたわけです。
ところが、鎌倉時代に入ると、様々な宗派が乱立して、
それぞれが、自分勝手な戒壇を建立したのです。
そこで授戒を受けた僧侶の中には、反社会的な、
悪質な者も出てくることになったのですねぇ。
だから日蓮大聖人は、そんないい加減な戒壇ではなく、
国民全体が賞賛するような戒壇を建立するように、
弟子たちに御遺命されたわけです。
それが「勅宣ならびに御教書を申し下して」ということです。
国の権力によって、上から強制的に建てるような戒壇を
想定しているのとは、全く逆なのですよ。
日蓮正宗は、こういう日蓮大聖人の真意を全く理解できずに、
国柱会の誤った解釈をそのまま受け入れていたわけです。
実際には、日蓮正宗は、創価学会と離脱する前から、
日蓮仏教に反したことをいくらでもやっていたのです。
「それでは創価学会は、なぜもっと早く日蓮正宗を切らなかったのか」
という疑問については別稿に譲ります。
創価学会は、国立戒壇を建設しようというのが目的だが、まさに政教一致ではないか
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