それは、質問者さんの我田引水による誤ですねー。
本門寺という言葉の使い方は、固有名詞としてではありません。
例えば、 百六箇抄には次のようにあります。
「三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺本堂なり」
言うまでもなく、これが書かれた時に本門寺は存在しません。
本門寺という意味は、「本門と言う意義を持った寺」ということですねー。
これは、仏教系の辞書を引いても同じことが書いてありますよ。
だから、○○本門寺という名前のついた寺はいくらでもありますからねぇ。
また、「富士山本門寺戒壇」の解釈としては、
目的語として、名詞を広い範囲から小さい物へと並列している文ですねェ。
これを、「富士山【の】本門寺【に】戒壇【を】建立せらるべきなり」
と読む方が不自然ですよ。
三つは同列として並べられているわけですから。
まあ、創価学会としては、そんなことより、
「国主被立此法者」の解釈の方が重要なわけです。
これを、「信教の自由の侵害だ・政教一致だ」
と言っているようでは、お話にならないわけですねー。
日蓮大聖人は、1閻浮提総与の御本尊は「富士山本門寺戒壇」に安置すると教えられている。従って、富士大石寺にある日蓮正宗の御本尊こそ唯一絶対の御本尊だろう。
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