様々な受け止め方ができるような御文ではありません。
このご文の後に、次のようにあります。
「正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか」
だから、極楽を正像時代に例え、穢土を末法時代に例えられています。
末法の、生命の濁った人間に、
苦労しながら弘教する功徳を賞賛されたものです。
信仰の姿勢に当てはめて考えれば、
人一倍、厳しい中で、苦労しながら信仰を続ける人を、
大聖人がほめられているのです。
「極楽百年の修行は穢土の一日の功に及ばず」と御書にあるが、様々に解釈ができて、味わいが深い
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