親が教える、というよりも、
小さい頃から宗教行事に参加しているわけですから、
小学生くらいになれば、何の宗教に入っているのか知っていますねぇ。
また、もし知らなかったとしても、全く問題はありません。
宗教団体と信者との契約というのは、
「信教の自由」という憲法の大前提の上に成り立っているものです。
だから、信徒であるという契約に基づいて、
何かが強制されたり、責任を生じたりするものではありません。
また、そのようなものが契約上あったとしても、
信徒の意志がなければ、履行する必要は全くありません。
簡単に言えば、いつでも、
一方的に「信仰を止めた」と言えば、脱退できるわけです。
例えば、念仏宗の寺の檀家に赤ちゃんが生まれた時、
当然、赤ちゃんのお祝いとして檀家に登録します。
その後、その子が成長する中で、
檀家の意識など全く無い人はいくらでもいます。
成人して、もし、その檀家が嫌になれば、「辞める」と言えばよいだけの話です。
親が、宗教のことについて子供に教えようが教えまいが、
本人が、その自覚があろうがなかろうが、どうでもよいのです。
これが、現在の社会的常識です。
時々 、創価学会批判者が、この社会的常識を意図的に無視して、
いかにも、問題があるかのようなことを言っている者がいますが、
無知の恥知らずといえます。
親が、生まれてきた子供を勝手に親の宗教に入れている。それなのに、親が教えることもせずに、放っておくのは、問題ではないか
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