先日、山口代表が岸田総理に会ったとき、
「習近平総書記に渡す親書をお願いします」
と要望しましたねぇ。
国と国との関係ですから、波風はあって当たり前です。
その中で、一貫して中国と友好関係を保とうとしているのが、
創価学会、公明党です。
折々には、重要な働きをすることにはなるでしょうねぇ。
中国と創価学会の関係は非常に深いものがあります。
1970年前後は、中ソ国境の緊張が続き、
戦争勃発の懸念が常にありました。
当時は、単なる心配ではなく、
かなり現実味を帯びるほど切迫したものでした。
中国側の国境近くの小学生などは、
防空壕を掘るのが日常の教育活動になっていました。
そんな状況の、昭和49年(1974年)9月、
創価学会池田会長はソビエト連邦を初訪問しました。
そこで、コスイギン首相との会見に臨んだ会長は、
「ソ連は中国を攻めるつもりはあるのですか」
と真っ正面から日中関係を取り上げ尋ねたのです。
思いもかけぬ言葉に、コスイギン首相も、
「中国を攻めるつもりも、孤立化させるつもりもありません」
と率直に答えたのです。
さらに池田会長は、
「そのことを中国側に伝えても良いですか」と尋ねました。
これに対してもコスイギン首相は、「よろしいです」
と単刀直入に答えたのです。
同年12月、コスイギン首相の言葉を携え、池田会長は訪中しました。
この時、重病で入院していた周恩来総理が、
池田会長との会見を強く希望したのです。
周総理は、日中友好と世界の平和を池田会長に託しました。
これから、中ソ間の緊張関係は大きく緩和したのです。
この歴史的事実について、
タチの悪い創価学会批判者は、あらゆるガセネタをでっちあげて、
また、あらゆる事実の歪曲をして、
池田会長の業績と行動を否定するのです。
こういう、実にうっとうしい連中の言う事は放っておいて、
日本の一民間人が、コスイギン首相に会い、周恩来総理と会見する、
という事は、尋常なことではありません。
両国の首領が、創価学会と池田会長に、
緊張緩和を遂行してくれる力量があると、判断したからに他なりません。
その後、1989年にミハイル・ゴルバチョフ書記長が訪中して、
中ソ国交の正常化が始まりました。
このゴルバチョフ書記長と池田会長とは、
何度も対話を重ね、対談集も発刊する親しい関係だったのです。
創価学会はどうして中国よりの観方をするのか。中国に対してそれほど影響力も持っていないし、日中友好にも大した役にも立っていないはずだ
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