質問者さんは、学生だということなので、
少々 、哲学じみたことを言いましょう。
質問者さんは、「出来るだけ客観的」と書いていますが、
まさにその通りで、完全な客観性というのは、存在しません。
なぜなら、当然のことですが、人間が何かについて文章を書くという事は、
筆者の主観が関わっているから書けるのです。
例えて言えば、報道カメラマンが、事件現場の写真を撮るとします。
その時、「写真は客観的な事実だ」などというのは素人です。
言うまでもなく、どの部分を写真に撮るかは、カメラマンの主観です。
その選択眼の中に客観性のない主観性があるのです。
常識的に考えてみても、 1つの事件現場を完璧に、
一切を漏らすこともなく、カメラに収めるなどという事は不可能でしょう。
これと同じで、創価学会を客観的に表現するという事は不可能なのです。
必ず、表現者の主観が入るわけです。
だから、大切な事は、主観の入った書籍を読んで、
その中でどれだけ、客観性と主観性を
判断する能力が自分にあるかどうかです。
その判断能力は、現実の創価学会の真実を見抜く眼と
書籍を読んで、筆者の学識レベルを見抜く眼を養うことによって、
磨きをかけることができるのです。
また、タチの悪い創価学会批判者が、
どれほど、ウソを貫き通すのか。
最高裁で、創価学会の正しさが判決として出たにもかかわらず、
「裁判関係者に創価学会員が多くいた。
また、公明党からの圧力があり、正しい判決ができなかった」
などと、繰り返して、平気で言うのです。
タチの悪い創価学会批判者が、どれほど卑怯な人間かを
出来るだけ多く知ることが、
創価学会を客観的に観る素養にもなります。
私は学生だが、それだけに、物事を客観的に見る努力をしている。そういう観点から創価学会をできるだけ客観的に見ようと努力している。それでもなお、悪事が多い
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