創価学会に入って、これまで一生懸命に祈ってきたが一向に叶わない。本当に祈りは叶うのか

「祈りは叶う」と言うことについて、
どういうことなのか、真実を知る必要があるように思います。

「確信を掴めた」ときから、「祈りは叶う」までの間には、
信仰を根本にした努力と言う過程があるのです。

学会の言う、「願いが叶う」
ということを、勘違いをしている人が多くいます。
例えば、「宝くじが当選するように願っていたら当選した」
というようなものでは全くありません。
当然ですよね。世の中の常識ですよねー。
そんな願いがかなったら、
誰も仕事もしなければ努力もしなくなるでしょう。

創価学会の唱える「願いが叶う」というのは、
創価学会の信仰を通じて、
「願いが叶えられるような、自分になる」ということです。

お金が欲しいのであれば、
目標のお金を儲けることができるだけの社会的な実力を持った自分を
信仰の力で作り上げるということです。

だから、「願いが叶う」というのは、
かなえるだけの実力を身につけたということですから、
偶然に、その時だけ願いが叶ったというのではなく、
その後は、いつでも願いを叶えることができる自分であるということです。

だから、「確信を掴めた」と真実に言えるのは、
「祈りを叶え」た時なのです。
もし、「確信を掴めた」のに祈りを叶えることができなければ、
それは、原点の「確信を掴めた」ということが、観念であり、
自己満足の思い込みであったといえます。

仏法は道理です。大聖人は、「仏法と申すは道理なり」
と教えられています。
自分自身に、社会的な実証を示すだけの実力を身につけなくて、
願いが叶うなどと言うことが、あるわけはないのです。
そんなことがあるとすれば、他力本願の、おすがり信仰で、
人間をダメにするだけの邪教です。
人間の道理に反しています。

信仰を根本に、死に物狂いで努力をして、
願いを叶えることのできる実力を身につけることです。
そうすれば、間違いなく、願は叶えられます。


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