いろいろな意見があって面白いのですが、
正解をお知らせしておきます。
釈尊の説いた仏教には、出家と在家というような、
人間に対する差別観は一切、無いのです。
当然ながら、老若男女、民族、人種、などによって、
人間を差別するような浅はかな教えではありません。
僧侶というのはどのように定義されるかといえば、
絶対者と人間との間を取り持つ存在です。
僧侶は、人間には理解できない絶対者の意志を理解し、
それを人間に伝えることができる、というものです。
例えば、「葬式では、僧侶に拝んでもらわなければ、
死者が成仏しない」とか、
「僧侶に戒名を書いてもらわなければ、成仏しないし、供養もできない」
などと言う迷信です。
釈尊は、このような僧侶の存在を、厳しく否定し、破折しています。
僧侶の存在を認めている宗教に対して、極めて低級で、
有害な宗教であると戒めています。
従って、現在において、僧侶の存在の必要性を説くような宗教は、
釈尊の教えに、真っ正面から違背しているといえます。
もし、そうではないという人がいれば、
釈尊の教えのどこに、
僧侶の存在の必然性を書いた経文があるか示しなさい。
くれぐれも、釈尊の死後、都合よく仏教を解釈した、
人間たちの書いたものではありませんよ 。
驚くべきことですが、日本人の多くが、職業宗教者に騙されているのです。
そして、無知を良いことに、金儲けの材料にされているのです。
社会全体が無知な場合、無知の内容が常識になるのですねぇ。
創価学会は、釈尊の真実の仏教を実践している教団です。
僧侶などと言う、後世の人間が金儲けのために考え出した、
バカバカしい話にだまされるような幼稚な団体ではありません。
真実の仏教には、僧侶などは不要なのです。
いや、僧侶は、釈尊の教えに反する存在なのです。
僧侶のいない創価学会が、仏教を実践しているなどというのはおかしいだろう
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