創価学会は、願いが叶うというが、それだったら、拝んでばかりいて、仕事をする者がいなくなるだろう

「願いが叶った」というのは、
「願いを叶えるだけの実力を持った自分になれた」ということです。

例えば、自分以外の絶対者にお願いをして、
その力で願いが叶ったとします。
そうすると、自分の実力は変わらないのに、
絶対者のおかげで願いがかなったわけですから、
いつまでも、無力な自分であり続けるわけです。
新しい願いが出てくるごとに、絶対者に一生涯、
すがり続けなければなりません。
しかも、実際には、それは幻想にすぎないのです。
こんな願いのかない方というのは、創価学会の信仰とは真逆です。

創価学会の「願いが叶う」というのは、
自分に実力がついてくることですから、
その実力の付き具合は、誰でも自覚できます。
これを前兆と言うなら、前兆はあります。

例えば、 100メーターの陸上選手が、目標のタイムを決めます。
そして、それに向けて日々 、厳しい練習を行います。
その結果として徐々に、記録に近づいていけるような走りが、
出来るようになります。
それは自分で、十分に自覚することができるものです。

このように、自分自身が成長することによって、
願いを手に入れる力ある自分になれるということです。
そして、自分が良い方向に自己変革しているのを、
自覚できるからこそ、さらに精進することができるのです。

創価学会の素晴らしさは、自分では限界突破できなかった壁を、
信仰の力で、それを乗り越えられる自分に成長できることです。
これが事実であるからこそ、全世界の千数百万人の会員が、
今、生活している現実の場から逃げることなく、
日々 、信仰に励んでいるのです。


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