まず、質問がおかしいねぇ。
「幸せになるのにお金を支払うのか?」
と書いているけれど、なんでもそうだろう。
食事をして、幸せになるためにお金を払うだろう。
良いスマホ買って、幸せになるためにお金を支払うだろう。
当たり前のことじゃないの?
幸せにはいろいろあるねぇ。
腕を怪我して血が出て痛いのに、
「これは、神からの与えられた試練だから、痛くない。
それどころか幸せだ」
これがキリスト教の幸福だ。自己満足そのものだねぇ。
「現実の世界は苦しみばかりだから、
死後の世界のためにお題目を唱えている。
死後の極楽思えば、現在も幸せだ」
これは、念仏宗の幸福だ。
このように、幸せとは、第三者から見て、
不幸のように見えても、本人が幸福と思えば幸せだろう。
逆に、第三者から見て、金や名誉や地位もあって、
幸福そのもののように見えても、
本人が不幸を感じている事は、いくらでもあるねぇ。
創価学会の言う幸せというのは、
こんな低レベルな次元での話ではないんだ。
それを絶対的な幸福と言っているんだよ。
創価学会は、幸せになるのにお金を支払うのか。金持ちでなければ、幸せになれないと言うことなのだろう
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