総勘文抄には仏身を信仰の対象にせよと明確に書いている。それなのに創価学会は信仰の対象を法身にしている。信仰の対象は目に見える形で必ず存在しているものだ

総勘文抄の仏身という言葉の意味を勘違いして捉えています。
その後の文章に、次のようにあります。

「実に己心と仏心と一心なりと悟れば」

と言い換えているのです。だから、仏身というのは仏の偶像ではなくして、
仏心と言うことです。

また「創価学会は信仰の対象を法身」
などと言う事は全く創価学会として言っていませんよ。
御書なかには、次のようにあります。

「我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉って、
我が己心中の仏性、南無妙法蓮華経とよびよばれて、
顕れ給うところを仏とは云うなり」

このように、創価学会は、
日蓮大聖人の教えの通りの御本尊を拝んでいるのです。

さらに、「信仰の対象は目に見える形で必ず存在している」
というのは、あなたの我見です。
もしそうであるなら、生まれながらにして目の見えない人は、
成仏できないことになるではないですか。


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