信心の基本の理解が間違っています。
信心について、人革では次のように書いています。
《勤行・唱題も、学会活動も、やった分だけ、自分の得になる。
かといって、やらなければ〝罰〟が出るなどということはありません。
それでは、初めから信仰しない人の方がよいことにさえなってしまう》
信心の仕方によって罰が出るなどという、
そんなバカバカしいことがあるわけがないでしょう。
本当にそうだったら、信心しない方がよっぽど幸せになります。
だから、質問者さんの組織の状況について考えれば、
それが、罰などと言うことでは、全く無いのです。
逆に言えば、現在の支援活動や学会活動をやって、
幸せになっている人や組織がほとんど全てです。
質問者さんの組織の状況は、
長い期間にわたって、多くの組織を見てきましたが、
ありえない状況ですねぇ。
学会批判をするための「作り話」と言われても、
仕方の無いような状況なのですよ。
これが理解できますか?
もし、学会活動によって質問者さんの言うような状況になるとしたら、
創価学会は、とっくの昔につぶれていますよ。
「選挙活動に狂奔することにより・・・公明党が日蓮大聖人の仏法を
利用して政権維持を続けていることへの罰ともとれます」
などというのは、日蓮仏教の理解ができていない質問者さんの我見ですね。