ふと、考えてみてください。
宇宙には、地球と同じように生命体を発生させることのできる惑星は、
他にも多くあるとされています。
これは、現代の宇宙科学が証明しているところです。
しかしよく考えると、それらの生命体のある惑星も、
元はと言えば、高温高圧のブラックホールのようなものでした。
そこにはもちろん、生命体など発生する訳がないのです。
ところが、高温高圧の惑星が誕生し、温度が冷えて、
さらに恒星からの距離が適当であれば、
生命体が発生する可能性が出てくるのです。
どうして、元々は生命の存在しない高温高圧だった惑星が、
環境の整った惑星に変化した後では、生命体が発生するのか、
ということについては様々な見解があります。
なかには、隕石に乗って生命体が移動してきた、というのもあります。
しかしこれも、過酷な環境の宇宙空間を飛行している間、
生命体が維持されていたというのも、非科学的なものですねぇ。
それで、最も妥当的な考え方は、
宇宙自体が生命体であり、どの惑星だろうが、
生命体が発生する環境が整えば、生命が生まれてくる、というものです。
そうすると、生命は、有るとか無い、
とかという概念で把握できるものではありません。
もともと、本来的に生命が宇宙には備わっているのですから。
これを日蓮仏教では永遠の生命というのです。
日蓮仏教の生命の把握の仕方は、
現代の宇宙科学と合致した方向であると言えるでしょう。
従って、人間の生命は死ねば、無くなるのではなく、
生命体である宇宙とともに存在するといえます。
例えて言えば、多年生植物が、冬には枯れてしまって、
地表の形は無くなるけれど、
春になればまた芽を出して花を咲かせるようなものです。
その生命に、個別性、個人性があるかどうかは、
まさに、信仰の世界の話です。
創価学会は生命は永遠だ、というが、どうしてそんなことが言えるのか
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