六巻抄には、次のよう書いています。
《仮使(たとい)発心真実ならざる者も正境に縁すれば功徳猶多し》
この意味は、「たとえ、題目を上げる理由が、
不純なものであったとしても、学会の信仰は素晴らしいので、
功徳がある」
と言うことです。
質問者さんの信仰の動機が不純というわけではありません。
ある意味で凡夫の動機は不純と言えるでしょう。
創価学会の信仰の素晴らしさは、
様々な民族、様々な国の人々が、
様々な理由で創価学会員になって、信仰に励んでいます。
千差万別の信仰の理由があったとしても、
すべて、信仰の力によって、
人生を良い方向に勧めることができる、ということです。
義理で創価学会に入会しても、功徳はあるのか
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