まず、最も基本的なことですが、教理と運動論を混同すると、
創価学会も、仏教も理解することができませんから、
しっかりと理解することが大切ですよ。
「浄土宗を否定・敵視」というのは、運動論の話なのですよ。
教理の面から見るならば、
浄土宗が依経としている浄土3部経は、大乗経典ですが、
法華経に比べれば、 爾前経になりますねぇ。
すなわち、方便・権経と言われ、
法華経の真実を説くための、仮の教えですねー。
法華経と浄土3部経との関係は、どのようになるのか。
これが大きなポイントですよ。
日蓮大聖人は次のように書いていますねぇ。
《故に、爾前の経即ち法華経なり。法華経即ち爾前の経なり。
法華経は爾前の経を離れず、爾前の経は法華経を離れず。
これを妙法と言う。》
さらに次のようにも書いていますよ。
《「もし俗間の経書、治世の語言、資生の業等を説かんも、
皆正法に順ぜん」文。
一切の外道・老子・孔子等の経は即ち法華経という文なり。》
これはどういう事かというと、日蓮仏法は円教と言われるように、
あらゆる、思想、哲学、宗教を内包しているということですねー。
人間の存在の本質を解き明かしているわけです。
浄土宗も人間の心のはたらきの1部の真理を説いているわけですよ。
だから、日蓮仏法の中に浄土宗の教えも入っているわけですねー。
このことを「爾前の経即ち法華経なり。法華経即ち爾前の経なり」
と書かれているわけです。
現実的にわかりやすく考えてみましょう。
念仏宗は「欣求浄土厭離穢土」と教えますねぇ。
「現実の社会は、汚れた世の中であり、そこで生活すれば、
苦悩ばかりの生活、人生になる。
だから現実社会を逃れて、念仏を唱えることによって、
幸せな極楽浄土にいけるように祈りましょう」
こういうわけですねー。
少し考えればわかるように、この思想は、
特別に浄土宗に限ったことではありませんねぇ。
人間ならだれでも、苦しい現実生活を強いられたならば、
そこから逃げたくなるものですねぇ。
あるいは、実際に逃げなくても、未来の幸福を夢見て、
現実の苦しみを慰めたくなるものですねぇ。
こういう宗教は、権力者にとってはたいへんに都合の良いものですねぇ。
実際に江戸幕府は、念仏宗を農民に広めました。
農民が年貢を取られ、非常に苦しい生活になったとしても、
幕府に反抗せずに、 「欣求浄土厭離穢土」で、
我慢して働かせるようにしたわけですねー。
まあ、それでも、耐えきれずに1部の農民が
百姓一揆を起こしましたけどねぇ。
キリスト教は、浄土宗と同じような傾向性がありますよ。
どんなに苦しい人生、生活状態になったとしても、
「神の思し召しだ」と自分を慰めて、
それに耐えながら、自己満足して幸福を感じようとするものですねぇ。
これに対して若きマルクス青年は、次のように言いましたねぇ。
「宗教は民衆のアヘンである」
この言葉は、宗教が人々の苦しみや不満を忘れさせ、
現実の改革を妨げる麻薬のような役割を果たしていると
批判したものですねぇ。
要するに、浄土宗もキリスト教も、現在の生活の苦しみを、
政治変革、社会変革と言う体制批判へのエネルギーにできず、
失くさせてしまうということですねー。
結局、社会変革、革命運動を阻止する働きになるわけですねー。
日蓮仏法は、人間の心のはたらきとして、浄土宗的、キリスト教的な
心理がある事は認めたうえで、それに従ったならば、
結果的に、諦めるだけとなり、
自己変革、社会変革の道が閉ざされるとしているのですよ。
そして日蓮仏法を信仰すれば、自己満足と諦めの思想を打ち破り、
客観的に幸福になれる道を進めるようになるのですねぇ。
実際に、浄土宗の信徒の人が、創価学会に入会すると、
諦めの人生から、現実を幸福の人生へと、
力強く、積極的な希望を持って生きる姿へと変革していますねぇ。
以上は、教理的な観点から捉えたわけですねー。
これでわかるように決して、「浄土宗を否定・敵視」などしてないでしょう。
浄土宗の思想が、普遍的に人間には内在してるということを、
認めたうえでの日蓮仏法、創価学会になっているわけです。
次に、運動論の観点から見てみましょう。
浄土宗の聖典である「選択本願念仏集」の始めの部分に、
次のように書いていますねぇ。
〔第一聖道浄土二門篇〕
【道綽褝師聖道浄土の二門を立てて、
しかも聖道を捨てて正しく浄土に帰するの文】
《「安楽集』の上に云く、問うて日く、
一切衆生は皆仏性有り。遠劫より以来まさに
多仏に値えるなるべし。何に因ってか今に至るまで、
なお自ら生死に輪回して、火宅を出でざるや。
答えて日く、大乗の聖教に依るに、
良にニ種の勝法を得て、以て生死を排はざるに由る。
ここを以て火宅を出でざるなり。何をか二と為す。
一には謂く聖道、二には謂く往生浄土なり。
その聖道の一種は、今の時証し難し。
一には大聖を去ること遥遠なるに由る。
二には理は深く解は徹なるに由る。
この故に「大集月蔵経」に云く、
「我が末法の時の中に、億億の衆生、行を起し道を修せんに、
いまだ一人も得るもの有らし」。
当今は末法、現にこれ五濁悪世なり。
ただ浄土の一門のみ有って通入すべき路なり》
書いている内容を分かりやすく、意訳してみましょう。
「創価学会の信奉する日蓮仏法は、確かに、
仏教的には最も深遠であるが、それを説いた釈尊は、
すでに、はるか昔の人で、大昔の説法であり、現在には通じない。
それに内容も哲学的に深すぎて、現代人には理解できない。
何億人もの人たちが日蓮仏法を信仰しようとしたとしても、
誰1人として、功徳を得、成仏出来る者はいない。
現代は、世の中は乱れきっており、
その中で通用する仏教というのは、念仏を唱えて浄土を願う、
浄土門の仏道修行だけなのである」
この程度の意味になりますかねぇ。
明らかに、創価学会、日蓮仏法を
「功徳もなく、成仏できない教え」であると、
切り捨てていますねぇ。
これに対して大聖人は、
浄土宗を徹底して破折していますよ。
《また「念仏無間地獄、阿弥陀経を読むべからず」
と申すことも、私の言にはあらず。夫れ、弥陀念仏と申すは、
源、釈迦如来の五十余年の説法の内、
前四十余年の内の阿弥陀経等の三部経より出来せり》
要するに、浄土宗というのは釈尊自身が
「私の真実はまだ説法していない」
と明言した、レベルの低い経文によっているということですねー。
さらに次のようにも書いていますよ。
《わずかの小女の法華経をよみしにせめられて、
当坐には音を失い、後には大蛇になりて、
そこばくの檀那・弟子ならびに小女・処女等をのみ食らいしなり。
今の善導・法然等が千中無一の悪義もこれにて候なり》
これは非常に厳しく、浄土宗を否定していますねぇ。
「千中無一」というのは、
「億億の衆生、行を起し道を修せんに、
いまだ一人も得るもの有らし」ということと同じですねー。
「日蓮仏法を信じたとしても、功徳も成仏もしない」
ということに対して、徹底して論破ているわけです。
創価学会も運動論として、創価学会を否定する浄土宗に対して、
徹底交戦をしているわけですよ。
どうして、浄土宗が悪なのかという理由は、
日蓮大聖人の教えを書いた御書のなかには非常に多くあります。
結論的には、
「釈尊の教えの真髄である日蓮仏法を、
釈尊が真実を説いていないと言った経文を根拠に、
否定している」
ということですねぇ。
ただ、「創価学会が浄土宗を否定・敵視」して、
徹底して法論をしたのは昔の話ですねー。
その法論の中で、明らかに創価学会が勝利しましたねぇ。
だから今は、浄土宗と法論などしませんねぇ。
決着がついているわけですから。
だから実際問題、今は「創価学会が浄土宗を否定・敵視」
などしていませんよ。
逆に言うと、創価学会が「否定・敵視」するほどの、
熱心な浄土宗の信徒の人など、今時、いませんねぇ。
そういう時代ですよ。
創価学会は、浄土宗を否定・敵視しているのか。
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